かざみきもの学院
トップ 学院長 本校 松山校 万華鏡 イベント アルバム

<2008年6月>

 

この街 松山 路面電車

学院長  松山校を開校して以来、毎月群馬と松山を往復しているからか、中途半端で、どちらの人間か分らないような状態が続いていました。年数が経ったわりに、仕事以外の松山のこともよく理解していませんでした。
私は、市内電車 ( 路面電車 )に乗るのが好きで、松山に帰ってきたとき、昔のことを思い出したりして、これに乗るのが嬉しかったのを思い出します。
最近も、時々自宅から少し歩いて、県民文化会館前から乗ります。(反対側へ行くとすぐ道後温泉) 上一万から左にカーブし、やがて東署、今度は右に曲がると、市電のメインストリート、左には大街道。三越 全日空ホテル、右に萬翠荘、坂の上の雲ミュージアム、裁判所 県庁と進み、突き当たると松山城を囲むお堀に出ます。堀端に沿って曲がると左に市役所を過ぎ南堀端です。そこから左に曲がると一駅で松山市駅、お堀に沿ってまっすぐ行くとその先がJR松山駅というところ、かざみきもの学院 三番町教室はこの南堀端で下車します。

 大分前のある日、電車が信号待ちをしているとき、ふと外を見ると、ちょうど、愛媛銀行の掲示板が見えました。そこにあるものを見つけました。

「 恋し、 結婚し、 母になったたこの街で、 おばあちゃんになりたい 」 

 まだ松山のことをよく分っていない頃です。なんて素敵なことばなんだろうと、手帳を出してメモをしました。そして愛媛銀行は素晴らしい・・と思っていました。
後で分ったことですが、これは松山市の「ことばのちから」イベントで、「21世紀に残したいことば」あなたのことばで元気になれる 「だから ことば大募集」 をして、全国から寄せられた 12,000 の中から松山市長賞に選ばれた桂綾子さんの作品(言葉)だそうです。
このことばが「この街で」という歌になったのは、2005年3月、松山で行われた、日本ペンクラブ「平和の日、松山の集い」の中で、ゲストの、あの「千の風になって」の新井満さんと、エッセイスト三宮麻由子さんが即興で歌ったのが始まりと聞いています。
それから、新井さんが自費でレコーディングし、原盤を松山市に寄贈、市がまちづくりイベントのBGM等に活用し、色々なところで使われています。愛媛銀行のものではなかったのですが、やはりはじめて出会った感動はずっと残っています。
松山市がCDの製造限定販売、完売し、また、城之内早苗さんと布施明さんの歌でCDが発売されました。私も先日テレビで聞きました。

 松山在住の人はほとんどの方がこのことを知っていると思いましたが、遠く離れている人が、何かのときにこの曲を聞いたとき、思い出してもらえればと思い書いてみました。また松山のことを書くにはこのことは外せません。

 松山の市内電車( 路面電車 )の新しくできた乗降しやすい低床電車に、大きくいろいろなことばが書かれています。これは以前から気になっていたことなので、見るたびに書きとめていました。全部伊予弁です。

「 いろんな子 いっぱいおって かまん かまん!」
「 気にせん。気にせん。 なんとかならい・・」
「 みんな誰かの宝物 」
「 みんなおるけん 大丈夫やしっ!」    
「 恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」

 5月、松山を発つ前に、スタッフの講師の一人に、「今度万華鏡に松山のことを書こうと思っているので、市電の写真が欲しい。県庁の建物も入るといいし、花園町の緑の銀杏の中、堀端もいいですねえ。できれば低床車のことばが入ったのも撮れるといいんだけど・・・」などと話していました。群馬に来て2,3日してメールで送られてきました。「お見事!」私の求めていた、走行中の写真がしっかり撮れていました。
この電車を見て何かほっとしますし、温かさを感じます。大分松山のことが分ってきました。この街で、自分の足元からできることを精一杯やっていこうと思います。
街の中心に凛とそびえる松山の象徴、松山城『お城山』、車と一緒に仲良く走る路面電車『市内電車』は、離れていた者がいつ帰っても、優しく迎えてくれる そんな松山です。

バックナンバーはこちら

渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
▲このページのTOPへ
©2005 かざみきもの学院