きれいなもの・心温まるもの
2008年、夏の北京オリンピックも、多くのドラマと感動と課題を残して終わりました。開会式のスケールの大きさ、一糸乱れぬ統一された動き、それは度肝を抜くほどすばらしいものがありました。ただあまりにも長いので、最後の方には、このために追われ、締め出された多くの中国の人の姿が見えてきたような気がしました。
開会式の後、子供が実際には歌っていなくて、別の子供のクチパクであったこと、花火のこと、小民族の子供達のことなどなど分かってきて、マスコミはまるで犯罪を見つけたように、これまでの食品の問題と同じように、偽装という言葉を使ったときがありました。確かによかったよかったではニュースにならないので、このことを見つけたのはうれしいことだったのかもしれません。私はこれらは全く問題はないとは言えませんが大イベントの演出の範囲と考えます。鬼の首を取ったようなことではないと思います。
今、世の中がこういう時代になり、愚痴を言う人が多くなりました。テレビからは、批判 嘆き 愚痴など、負の内容、語り口が多く、見ている人は余計に落ち込んでしまいます。親がテレビのコメンテーターの言葉をそのまま受けて、そこに自分の愚痴もプラスして毎日子供の前で話していたら、子供は将来に夢や、希望を持てるはずがありません。確かに先人は、自分の力ではどうにもならない環境の中で、しいたげられた日々の中で頑張りました。ハングリー精神が日本の復興を支えたとも言えますが、今の親や子供達はそんなに精神が強くありません。
私は、子供達に、きれいなもの 楽しいもの 心温まるもの をできるだけ沢山見せていければ と、いつも思っています。テレビでも、特に大切なこと意外は、汚いもの、残酷なものを画面に出さない努力をしてほしい。きれい事だけではすまないとの意見もあるとは思いますが、きちんと判断できる人は、そんなものを繰り返し見なくても分かります。怖いのは、ただ訳もなくそういう映像が流れ、自然に子供達の中に入っていくことです。ゲームなどはもっとひどく、人を殺してもリセットできるゲームの世界と現実が分からなくなっている子供も出ています。
また、特に問題提起をしなければいけないこと以外、「はじめに批判ありき」の姿勢はやめて欲しいと思います。大人になって、何かの会で、お世話はするのはいやなので、役員にはならないけれど、「だめだし」ばかりするいやな人にならないように。
( これは私も「だめだし」していますね。希望も出しているので、問題提起ということでお許しを・・・)
テレビから以前見たことのある内容が流れてきました。今では有名になりましたが、コロッケおじさんです。以前これを見たとき、思わず書きとめました。80点以上の試験の答案を持ってきた高校生にコロッケを2個無料でくれるというお話です。今の高校生は、1個40円のコロッケは自分で買えるだけのお金は持っています。自分で頑張って結果が出たうれしさと、持って行くとおじさんが褒めてくれる。この気持ちがいいときに食べる揚げたてのコロッケの価値はもっともっと大きいのです。家では80点は不満な親も居ます。頑張ったことを認めてくれない。上に上に目標を持っていかれ、子供は家で達成感を感じることが少ない。そういう中でのコロッケおじさんはとても大きな存在なのです。高校生でここに来るような子供は、必ずいい子になります。部屋にこもり、100点ばかりとっている子より いい大人になると思います。
入学試験に合格したら、合格通知をおじさんに見せに来た映像もありました。おじさんは嬉しそうに沢山のコロッケをあげていました。また、中学生の女の子が、「おじさん私も高校生になったら頑張るからそのときコロッケ頂戴ね」という情景を見ても胸が熱くなりました。
人は子供でも大人でも、自分の立場で見てくれる人が一人いれば、幸せでいられ、前向きに歩いていけると思います。家族、親友は大切です。けれどもあまりにも近くにいます。それはそれとしてもう一人、少し離れて冷静に、そして愛情を持ってみてくれる大人が理想です。学校の先生、習い事の先生、先輩、近所のおじさん、誰でもいいです。
あの高校生、中学生にはまさにそれがコロッケおじさんなのかもしれません。
もう一つ、これも以前見たことですが、駄菓子屋の足の悪いおばあさんのために週2回ごみ出しをずっと続けている男の子のこともありました。そこは子供達がほっとする場所だったところで、困っているおばあさんの姿を見てしてあげたいと思ったとのことです。これが道徳の教科書に載ったというお話がありました。
何年も親にも言わないで、朝ごみだしをしていたその子にとって、道徳の教科書に載ったことは嬉しいかどうかは疑問です。
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