初秋に思う
お盆が過ぎると、海の色も変わり、赤とんぼが飛び、厳しい残暑の中でも夜になると虫の声が聞こえます。確かに秋がそこまで来ています。うっかりしていると気づかないで過ぎてしまうこの季節の変わり目。夢中で走っていた頃からこの時期が好きで、大切にしてきました。素直に風を感じ、自分を見つめることができるからかもしれません。
お盆休み、家の中を片付けていて、きものショー( 6月の万華鏡に書いた)のアルバム、プログラム等が目にとまりました。懐かしく思いながらプログラムをめくっていくと、最後に私の文章がありました。普通のいつものプログラムのような、初めの学院長としての挨拶文とは別に一番最後に、渡部捷子個人の文章を載せました。
見てくれる人がいなくても自分のために残しておきたいという心境でしたが、最近になってその文章のことを話してくださった方がありました。
今読んでみても、考えが全く変わっていないので、それをそのまま載せてみます。
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12月、群馬に向けて松山を発つ日、1年を振り返ると、仕事は何とかこなしてきたけれど、それ以外の前向きの動きが自分の中になかったことに気づいた。夫の1周忌も終え、5ヵ月後に控えた大イベントに燃えなければ・・・と。
上が燃えないで人を燃やすことなどできるはずがない。その法則を痛いほど知っているだけに、自分がなさけなく、だんだん自信をなくしていった。
松山を発つ時、夕日がきれいで涙が出た。羽田に着くと糸のように細い月が美しかった。
学院の前に着いた時、駐車場には隙間がないほどべったり車がとまっていた。教室では1週間後に試験を控えたグループが頑張っていた。その上達ぶりには驚きがあった。別の教室では新春きものパーティーのショーの練習をしていた。私はその人たちの中に入り、 空港で流した涙などどこかに忘れて、たまらなく嬉しくなった。
私の周りにはいつもどこかに驚くほど燃えているグループがある。私はその人達からパワーをもらって今日まで元気で来られたと思う。「一生懸命の姿は、自分によい結果をもたらすだけでなく、他人にも影響を与える。」ということを伝えていきたい。先生と生徒、大人が大人を教える。たまたま先に学んだ人が後の人に教えているだけで、このことを通してお互いに高め合っていく。
きものを着ることから始まりそれに合った立居振舞い、言葉、ものの考え方、心の広さ、生き方までも、上へ上へとかきたてるきっかけとなる 「きもの」。 資格を得て立場を変えて人と接していくにつれ、さらに心が広くなり、母性本能でもある大きな愛へと変わっていく。そんな様子を色々な人の中から感じてきた。おしとやかとか着物振興とかいうことばを超えて、女性が見栄や虚栄を捨て、自信を持って前向きに生きるための大きな役割を果たしていることに気づき、驚き、感動している。
きものは女性の生涯共育 ( 教育ではなく共育 )の最高の媒体である。
私の、この きものとのかかわり方の一番の理解者は夫であった。
合掌 1999.5.16
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どこからか聞こえる虫の声と、少しばかりのアルコールが、この文章を載せる気にさせたのかもしれません。また顔を上げて、きれいな青い空の下、秋のきものを着て出かけられることでしょう。
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