かざみきもの学院
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<2010年8月>

 

お盆と七日裁判

学院長 8月はお盆休み、これは全国共通のようですが、お盆は旧暦7月15日でした。
関西では月遅れの8月15日に、関東では、7月15日と言われていましたが、会社の休み、学校の夏休み等諸々の事情から、ほとんど、8月に行われるようで、お盆というよりお盆休みと言う方が表に出ているようですが、一年に一度くらいこんなことも考えてみてはどうでしょう。

《 迎え火 送り火 》
 13日の夕方死者の霊が迷わないようにと家の前で迎え火をたきましたが、防火の面からしなくなり、迎え火を提灯にもらってくるところが多くなりました。我が家もお寺と墓地が同じところにあるので、13日はお寺で迎え火をいただいてお墓から車で一緒に帰ります。火も危ないから車に乗ったら一度消して降りる時につけて下さいとのことです。16日の夕方送り火提灯を持ってお墓まで行きます。お墓のお供え物もカラスが来るからと、お参りしたら持ち帰るようにとのこと、これらのことは今を生きる人として、大切なことのように思います。お花は枯れるときれいに片づけていただけるので、おかげでいつ行っても墓地はきれいに保たれています。

《 盆棚・盆提灯 》
 初盆・新盆(しんぼん にいぼん あらぼん) 言い方は色々ですが、亡くなってから初めてのお盆で、宗派によっては畳半畳ほどの高い精霊棚を作り、玄関には吊り提灯を吊るしますが、新盆は白い無地の盆提灯(白提灯)を吊るします。迎え火と同じ、迷わないようにという意味と同時に、外に対しての新盆の知らせの意味もあると伺いました。我が家もこの時は多くの方がお参りに来て下さいました。
次の年からは、吊り提灯も絵柄が入ったものを使います。盆棚も仏壇の前に低い盆棚を作り、位牌・盆花・香炉・燈明 などを並べ、精進料理・季節の野菜果物・菓子・素麺等を供えます。
キュウリとナスに足をつけて、飾りますが、これは、キュウリは馬にたとえ、ナスは牛にたとえます。馬は迎えに牛は送りに、迎える時は馬に乗りできるだけ早く、送るときは牛に乗りできるだけゆっくりと、家族の思いがこもってのことと言われます。
この時大切なのは水です。

《 施餓鬼供養 》
 お盆は先祖の供養はもちろんですが、施餓鬼供養も合わせてします。
釈迦の弟子の目連という人の実母が餓鬼道に堕ち苦しんでいるのを釈迦の教えにより、救済のための供養を営み、無時成仏させたことから、餓鬼道に堕ちて苦しんでいるすべての人を供養するようになったと言われ、我が家も、新盆の時は2段の精霊棚の下側に、そして2年目から小さくなった盆棚の下には、お料理も、同じ物を素焼きの皿に入れ供えます。餓鬼は食べ物を口に入れようとすると火となってしまい飢えと渇きに悩まされるといわれているので、水をたっぷり供えます。

《 七日裁判 》
  私は大分前に、まだ夫が元気だったずっと前ですが、テレビで、死後七日七日の法要と四十九日のことのお話があり、興味があって、メモをしたことがあります。七日、七日と四十九日まで7回の裁判があり、七人の裁判官がいます。初めに、@書類審査のようなものがあり、三途の川を渡ります。(善人は橋を、悪人のうち軽い人は浅瀬を重罪の人は濁流を) それから順番に A殺生の件 B邪淫の件、そしてC秤を使って罪の重さをはかり、D水晶の鏡に罪状が写し出され、この時の裁判官が閻魔大王 E秤と水晶から再吟味 F生まれ変わる世界を決めます。
世界は、「六道」 @天 A人間 B修羅 C畜生 D餓鬼 E地獄 です。
お盆の施餓鬼供養はこの餓鬼道に堕ちている人を供養することです。
七日七日の法要は、その時の裁判の日、故人を慕い悲しむ様子を見て、裁判の参考にするといわれます。

 まだ死ということを身近に感じていない頃なので、とても興味深く面白く思い、まとめなおして、残していました。
最近になって気になることがありました。ではこの世で悪行を犯した人はずっと救われないのか、ということです。調べてみると、7回の裁判官と、その時のそれぞれの守護仏がありました。 釈迦如来 文殊菩薩 普賢菩薩 地蔵菩薩 薬師如来等・・・。また、六道は、死後にいく世界ではなく、心の状態と考えて、迷いある者が輪廻するという6種類の迷いある世界のこととも記してあります。
けれども私は、夫の四十九日、法要は実際より早くしましたので、本当の 四十九日の正午前後 ( 判決は正午と聞いていたので ) 1時間ほど仏壇の前に座っていたら、ふっと身体が軽くなったような気がしたのを覚えています。気のせいかもしれませんが、それから身を入れて仕事に向えるようになりました。

《 法要 》 
 四十九日間は死者が生と死、陰と陽の狭間にいるので中陰と言い、これが明けると満中陰となります。浄土真宗では故人は臨終と同時に仏となるとの考えですので中陰期間は故人に対する追慕で、静かに過ごすようです。また霊という考えはなく、前記の、精霊棚 迎え火送り火等もしません。
四十九日法要の後は 一周忌 三回忌 7、13、17、23、27、33、50、百 とありますが、あまり長くしても、故人を知らない人たちが多く、三十三回忌を弔い上げとするところが多いようです。
いずれにしても、法要は、日頃疎遠にしている親族も集まります。それはみんな仲良くしてほしいと故人が望み、機会を作ってくれるのかもしれません。

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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