着物のちから
7月29日、松山校では恒例の、「資格証授与式・夏の集い」が、道後山の手ホテルで行われました。
今回講師資格を取得された方の中に、永吉裕子さんという方がおられます。
この方は入学時、着られる状態でしたので、これまでと違うところ、コツなど早く吸収していかれました。講師資格を早く取得したいとの要望もこの時「行けるかもしれない」と思いました。
私はずっと個人指導を大切にしてきました。もちろん大勢一緒のクラスも、団体等の単発指導もしてきましたが、一番大切にしているのは、一人一人の事情や希望を考慮して実際にその人に役に立つ指導をと目指してきました。この方はそのことに充分応えてくれました。
年に1回の京都での講師試験、全国の人達と一緒に受験するために、真剣に取り組んでくれました。
試験が終わって2,3日してからの授業の時、「試験を受けて本当によかったです。勇気が出て来たように思います。別のことで挑戦しようと思っていながらあきらめていたこと、できるような気がしてきました。」とのことでした。
この日の資格証授与式には、遠距離結婚をしている御主人が大阪からお祝いにきて下さいました。
私が思っている素敵な夫婦の基本は「愛し合い、信じ合い、認め合い 尊敬し合う」ですが、まさにそんな素敵なお二人でした。
今月はそんな永吉さんに万華鏡を書いていただきました。
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着物でどこまでいけるか?にチャレンジするのが好きです。着物で買い物や家事、食事会や飲み会は当たり前。着物で各種交通機関は制覇しましたし、社員旅行も行きました。そして、この夏は着物で講演の講師を経験しました。
私は鍼灸マッサージ師の仕事をしていますが、先日、「豊かな生と死を考える会」の定例会に呼ばれ「がん終末期にマッサージ師ができること 〜母の癌死から学んだこと〜」という演題で2時間の講演 を夏着物で行ないました.最初こそ、なぜ着物で?という空気が会場にありましたが、話しを始めると何を着ているかよりも何を話すかが大事で、意外に着物でもいけるものだなとの手応えを感じました。
私は両親を癌で亡くしたことがきっかけで、鍼灸マッサージ師になったのですが、実際に仕事でもご自宅で終末期を過ごすがん患者さんのマッサージをすることがあります。今回、かざみきもの学院で着付けの勉強を再開したのも、ある末期がん患者さんの言葉がきっかけでした。
その方は親友のお母様だったのですが、とても着物が好きで、和裁もされ、親友の成人式の振袖も縫われたほどの腕前でした。その方が亡くなる2日前にマッサージに伺ったとき、「着物は自分で着られるだけでなく、できれば人に着付けられるくらい勉強した方がええなあ。そしたら、多くの人に喜んでもらえる」とポツリとおっしゃったのです。長い間着物に親しんできた方の言葉だけに、これは天啓だと思いました。
「遺影は和服で」と希望され、死の前日にお気に入りの着物を着て撮影に臨まれたのですが、これが死ぬ前日の人の姿かと思うほどに凛とした、美しいお姿でした。その方は昨年11月中旬にお亡くなりになりましたが、半月後の翌12月には、私は学院で学び始めていました。
そして、学院長先生に無理を言って、この8ヶ月の間に着付け指導員と講師の資格を取らせていただきました。
目標や夢を山に例えたならば、その頂に立たないと見られない景色、地平線というものがあると思います。今の私の前には、9ヶ月前の私には全く見えていなかった地平線が広がっています。それは、自分の可能性をもう一度信じて挑戦してみようという気持ちにまでさせてくれました。
まだ見たことも、想像することもできない地平線をもっともっと見てみたい、そのためにもさらなる頂を目指そうと、今、自分を奮い立たせています。
永吉 裕子
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今月のタイトルは「着物のちから」にしました。
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