2パーセントのゆとり
ある朝、忙しく家の中で動いていていた時、テレビに、渡辺和子氏が出ておられるのに気付きました。手を止めて思わず見入ってしまいました。この方は現在ノートルダム清心女子大理事長をされているシスターです。ベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」の著者としてご存知の方も多いでしょう。
ご自分の体験の中からその時その時、身をもって感じ、対処してこられたことをベースに学生にも分かりやすく話しておられ、皆から慕われ尊敬されていることがとてもよく分かります。「修道者であってもキレそうになることも、眠れない夜もある」等のお話の中からも、特別の人ではなく、みんなと同じというところから、誰でも素直に聞けるのだと思います。
9歳の時二・二六事件、自宅で、父親が何発もの銃弾で命を落としたのを目のあたりにという経験を。18歳でキリスト教の洗礼を受け、36才で、岡山のノートルダム清心女子大学長に任命されました。
それはその年齢のご自身には重いことだったかもしれません。当時悩んでおられたとき、ある宣教師の方から、置かれたところが今のあなたの居場所であり、そこで自分らしく生きていくことの大切さを教えられ、今日まで来られたという思いから著書「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルになったように思います。
人と人との間で悩んでいる人は案外多いように思います。私は以前から「君は君 我は我也 されど仲よき」(武者小路実篤)という言葉を大切にしてきました。渡辺和子先生は、「信頼は98パーセント、あとの2パーセントは相手が間違った時の許しのために取っておく。この世に完璧な人などいない。心に2パーセントのゆとりがあれば相手の間違いを許すことができる。」と表現されています。
私が大学卒業後務めたのは松山市のカトリック系の女子高でした。公立の教員採用試験も受け、どこかに行けることは決まっていたのに、大学の先生のお薦めもありそちらにお世話になることになりました。当時の私は若いからとはいえ思慮が浅く、県内どこに行くか分からない中で、ここなら松山に居られるという単純な思いがあったのかもしれません。もちろんカトリックのことは全く無知状態です。
学校は1学年が20クラスもあるマンモス校で、家庭科の先生が6人、そのトップの方が、以前書きましたが、私が大人の女性に憧れ続けるきっかけになった方です。その先生は熱心な信者でいらっしゃいました。多くの教職員がいる中で、信者かそうでないかは関係なく、(そうでない人が大部分)普通の学校とあまり変わりはありませんでした。初めての冬休みも教会の方と、県の新採用者の研修会どちらかにとのお達しに、各地へ行った友人に会えるという思いがあり、研修会の方に出席しました。
職員室も広く、私たちの席の後ろに衝立があり、その向こうに何人かのシスターの机がありました。
毎日お会いするのに必要なこと以外あまりお話をすることがありませんでした。けれども、優しい笑顔と静かで美しい話し方は今でも覚えています。今思うとなぜもっと色々なことを教えていただこうとしなかったのか悔やまれます。
キリスト教に目覚めたわけではありません。もう大分前に、比叡山延暦寺に行った時、「一隅を照らす」という言葉が強く心に響き、その後京都に仕事で行くと、時々ここまで足を延ばします。宗教を越えて、人として大切な教え、心に響く言葉は素直に受け入れられるようになりました。本当の意味で大人になるということはこういう考え方が自然にできることかもしれません。私は運命論者ではありませんが、いつの頃からか、今このことに出会えたことは意味のあることと受け取るようになりました。
そのほか渡辺和子先生の言葉より、私が日ごろ思っていて、強く共感したことばを挙げてみます。
- 子どもは親や教師の『言う通り』にならないが『する通り』になる。
- 親の価値観が子どもの価値観を作る。3歳の子供に水道工事をしている人達のそばを通りながら『おじさんたちがこうして働いてくれるからみんなおいしいお水が飲めるのよ』という母親に。
- 現実が変わらないなら悩みに対する心の持ちようを変えてみる
- 『あなたが大切だ』と誰かに言ってもらえるだけで生きていける。
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