神様がくれた時間 そして 「かざみ」
誰でも生活をしていく中で、普通とは違う何かが起こることがあります。いいこと嬉しいことは問題ないのですが、そうでないこともあります。
次女が4歳の時だったか、1週間入院したことがありました。心配な病気ではありませんでしたが、1週間仕事を休んで付き添いました。こんなに多くの時間ずっと一緒に居ることはなかったので、その時、これは神様がくれた時間なのだと思いました。退院の前日、洗濯場で懐かしい人に会いました。以前一緒に仕事をした、英語の先生でした。おしゃれで素敵な先生でしたが、お子さんが入退院を繰り返しているとのことでした。久しぶりに長めの立ち話をした後、最後に言われた、 「一人でゆっくりお風呂に入りたい」 という言葉に驚きがありました。皆が元気で仕事も順調で日々過ごしていたら、こんなことがなければ、気づかないことでした。言葉では分かっているつもりでも、分からなかったことが多く、1週間の間に多くのことを肌で感じ取ることができました。それを気づかせてくれたのは神様がくれた特別の時間でした。
お話は変わりますが、ずっと昔、私が中学生の時のことです。この学校に、そのあたりでは誰でも知っている厳しい家庭科の先生が居られました。浴衣の作成の時は、その日決まったところまでできていないと、居残りをして、まち針を打ち、縫う前に必ず先生に見ていただいてから。おかげで、浴衣、ブラウスやスカート、ひな形で、布団の作り方まで教わりました。毎月お小遣い帳を提出し、忘れた人は取りに帰りました。(当時は周りも今のように危険ではなかったので)
家庭科教室の掃除当番は、必ずミシンの中の掃除もさせられました。とにかく厳しいと同時にあまり優しい言葉をかけられたことはなく、みんな怖い先生と思っていました。今思うと母などはきっといい先生と思っていたと思いますが、当時は私も苦手でした。
大分前のことなので、記憶があいまいですが、ある日、学校はお休みなのですが、何かで何人か集まることになっていました。ところが、雨の降る寒い日だったからか、来たのは私一人。するとその先生が、優しい言葉をかけて下さり、牛乳を温め、ストーブの前で飲みながら、お話をしたことがありました。あの厳しい怖い先生にこんなにやさしいところがあったなんて、これは今思うと、神様がくれた時間だったように思います。私が家庭科を専攻したのはもしかしたら、この日があったからかもしれません。
卒業の時、皆、友人や先生からサイン帳に何か書いてもらいました。先生が、美しい梅の枝の絵と、一緒に書いて下さったのは、
『東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ』
当時は子供なので正確には理解していませんでしたが、あれから長い年月が過ぎ、学院の名前を決める時、結果として梅の花になりました。渡部きもの教室から始まりましたがやがて、連鎖校を開く人達から、共通の名前がほしいとの希望を受けて、下に何がついてもいいようにひらがな3文字と決めて、時間をかけて探しました。色々な物を調べ、ある時花の本の中に梅の別称として好文木は知っていましたがそのほかに「香散見」(かざみ)を見つけました。桜は華やかにパッと咲きパッと散る。これはこれで、はかなく美しいものです。梅は地味ですが、百花の中で1番に咲き、春はもうすぐと希望を与える。また、「梅は散っても実を残し・・」と言われるように、とても役に立つ物。
そしてなんといってもこの歌を詠んだ菅原道真は学問の神様。この歌は政略により、福岡大宰府天満宮に左遷が決まり梅と分かれる時に詠んだ歌ですが飛梅伝説によると、道真を追って一夜にして大宰府に飛んで行ったという飛梅があります。現在でも学問の神様として、多くの受験生や家族がお参りに来られるようです。
いつもとは違う偶然起こることも、後で考えると、とても大切なことを気づかせてくれる「神様がくれた時間」だと思えるようになりました。
時々、昔の厳しくて優しかった先生のことを思い出します。
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