かざみきもの学院
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<2019年4月>

 

令 和

学院長  元号も決まり、これを機に、今後のことを考える方も多いことと思います。また一方では、平成(昭和)の時代をそれぞれふり返り、自分の歩いた道を思っている方もおられると思います。前を向くことは何より大切なことですが、大人であれば、自分がこれまでどう生きて来たか、考えるいい機会かもしれません。私も、しばらく考えることも少なかった大分前のことを思い出しています。

 松山の大学では家庭科を専攻し、附属中学での教育実習も終え、採用試験の合格通知も届いていましたが、県内のどこの学校になるのか気になっていました。ある時、市内の女子高の先生から大学の先生に直接ご依頼がありました。予想もしてないことでしたが、先生からも勧められ、松山に居られるということで、その時は深い思いもなく、お受けしました。

 その女子高には家庭科の先生が 6人、お話をいただいた最年長の先生は私の母と同じ年齢でした。広い職員室の私の席は3年生担任のブロックでした。
当時は進学のクラスは少なく、就職希望の人が多く、3年生の担任は、自分の授業だけではなく、毎日お忙しそうでした。 求人があると、各クラスに通知し、希望者の書類選考、提出物の確認等々。私は授業のない時間帯は先生方の簡単な手伝いをしていました。広い職員室で、向こうの方では帰り支度を済ませ、チャイムを待っている先生方もおられましたが、私は、周りの先生方が忙しくお仕事をされている中を、「お先に!」とは言えませんでした。
その忙しい先生方が、運動部の部長でもあったり、時には就職の件で、生徒との会話が聞こえてくることもありました。私はここに居ることができたおかげで、色々なことを感じ、学び、そして次第に本気になりました。

 結婚をして、夫の勤務先である群馬県に行くまでの3年間、短い期間でしたがとても貴重な日々でした。後に、夫以外知らない土地で着付け教室を始め、長年続けて来られたことは、この 3年間で得たものが大きな力になっていると思います。中でも私に機会を与えて下さった先生から教わったことは大切にし、着付けの授業の中にも取り入れています。

 この先生のことはまたの機会に・・・。


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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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