かざみきもの学院
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<2006年5月>

 

他人(ひと)の痛み

学院長 桜も終わり、花が散るのを待ちかねたように新芽が芽吹き、あっという間に緑になって、新緑の季節になりました。薫風( くんぷう )・風薫る( かぜかおる )と、美しい言葉がありますが、5月も好きな季節です。

以前夏が終わり秋の風を感じたときが好きといいましたが、9月は立場や仕事を離れて一人の女性として、女らしくなれるような気がするのでそのことは大切にしています。5月は芽吹いた木々の葉が勢いよく繁っていく、あの元気が好きです。生垣のやわらかい葉っぱが太陽を受けてきらきら光っている様子を見ても、心が弾みます。

学生や新社会人が、環境が変わってかかる5月病( 病気ではない )というのがあることは前々から知っていましたが、それとは別に、以前友人から聞いたお話ですが、5月は周りが勢いよく伸びていくので、そのことが息苦しく、いつもこの時期に体調が悪くなる人が居るとのこと。これは考えても見なかったことです。

私は幸いなことに、着物を着るので手を後ろに回すことが多いからか、四十肩、五十肩で苦労することもなく、更年期の症状も無く、今日まで元気でこられました。
何処ででも眠れますので、眠れない苦労もありません。「眠れないときは起きていればいい。その時間、仕事をするか本を読むか好きなことをすればいい。そのうち必ず眠くなるから、無理に寝ようとしなくてもいいのではないか。」本当にずっとそう思っていました。でも、それは間違っていました。眠れなくて苦しんでいる方が大勢おられます。そんな人の苦しみも分らず、いとも簡単な自論を持っていました。今思うと、なんて非情で不謹慎な自分だったかと思います。

ある方から直接聞いたことですが入院していたとき、お見舞いにきた人から「頑張って!」といわれるのが辛かった。「先生から言われたとおり一生懸命我慢して充分頑張っているのに、これ以上何を頑張ればいいの?」と思っていたとのこと。

悪気は無いけど何気なく言った言葉や行動で、他人を傷つけていることがあります。人は、体や心が弱っているときは自信をなくしているときです。普通のときなら気にならなくてもそんなときは、傷つくことがあります。大切なことは、一般論ではなく、理想論ではなく、その人の状況や気持ちを考えること、他人の痛みが分ることです。

私は、若い頃はただただ前に向いて走っていました。仕事と子育てで精一杯で、昔のことも、故郷のこともあまり思い出すこともなく、走っていました。他人の痛みまで分っていなかったように思います。今は歳のせいか、夫の死 という自分の痛みを経験したからか、以前よりは他人の痛みが分るようになりました。

けれどもやはり、若いときは、人の顔色を見て行動することよりも、ためらわず、夢を語り、自分の気持ちに正直に行動するほうがいいと思います。

人目を気にすることと、相手の立場で考えることは違います。女性には、他人に何か言われはしないかと気にして思うとおりに行動できない人が意外と多いのですが、それは自分をどう評価されるかを気にしていることです。
自分で判断して決めたことは自信と責任を持って行動すべきと思います。年齢と共に、周りの人の立場や事情まで理解して進められる余裕が出てきます。

できれば、気の合った同年齢の人とだけでなく、年齢の違う人とも会話ができる機会があるといいと思います。
私の教室で、学校の先生を定年退職された方と高校生の方が一緒に授業を受けていました。その他、年齢、仕事、それぞれ違った状況の人達と接することができて、高校生の彼女はとてもいい経験をしたと思います。この春卒業して美容院に就職しました。今もプロ科の授業で頑張っています。

それは、この先生だった方をはじめ、皆さんが、人として女性として素敵な方だったことはもとより、彼女が学ぶ姿勢と聞く耳を持っていたからだと思います。

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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