かざみきもの学院
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<2006年6月>

 

涙のボタン

学院長 先日、久しぶりに聞いた曲に感動してしまいました。昔よく聞いたことのある曲を集めたクロウド・チアリのギター曲です。
そういえばここのところ、音楽は聞いても、聞きながら何かをしていることが多く、はまっていくような感覚は久しぶりでした。

「夜霧のしのび逢い」から始まり、「愛はきらめきの中に」 「エンドレス:ラブ」 「サウンド:オブ:サイレンス」 「イエスタデイ」 「ニースの誘惑」 「魅惑のワルツ」 「黄昏」 「いそしぎ」 「さらば夏の日」 「ブーベの恋人」 「夏の日の恋」 「セプテンバー:ソング」 「シバの女王」 「愛のフィーリング」 「マリア:エレナ」 「ロシアより愛をこめて」 「雪が降る」 「追憶」 そして最後が 一番心に響く 「夜霧のシルエット」

それから、時間があると一人で (水割りを横に) この曲を聞いて、ハラハラと涙を流していました。これは一人だからできることで、家族が居たら「お母さんどうしちゃったのかしら?」と不思議に思うことでしょう。

私は音楽のことはよく分りませんが、涙のボタンを押す何かがあるような気がします。「琴線に触れる」という表現がありますがまさにそのことです。
涙を流すことが心地よい感覚も新鮮でした。息を荒立てることもなく、涙をぬぐうこともなく、ただハラハラと涙を流す。ただハラハラと です。意外と気持ちのいいものです。何日かすると、体の中の悪いものが出て行って、きれいになっていくようで、血液サラサラになった気分です。  私はちょっと変でしょうか?

今、こんなことを思い出しました。
もうずっと前のことですが、全国きもの指導者協会の総会の開催を群馬ではじめてしたときのことです。私には、はじめての開催校としての大がかりなショーでしたので、プロの方やいろいろな方の協力を得て、無事(?)終了したのですが、忙しい毎日が終わり、それからは、時間を見つけて、毎日、喜多郎のシルクロードを流して、庭に出て芝の草取りをしていました。体も大変でしたが、気持ちの上でも、どこかで我慢をしたり、無理をしていたものを自然体に戻したかったのだと思います。外の空気を吸いながらこの曲を聞いていると、本当にきれいになっていくような気がしていました。

それからも自分の中に嫌な部分が多くなると、よくこの対処の仕方は経験しました。
私の一番大きな願望は、「自然体で、素直に、美しいものを美しいと感じ、感動する感性を持っていたい。」と思うのですが、なかなかそうはいかないので、意識的に修正をしています。

人は一生のうちのその時々に、夢中になることがあります。ある年齢になると、人のために何かしたいという気持ちが大きくなります。積極的にボランティア活動をしている方も大勢いらっしゃいます。私の知人でずっと「あしながおじさん」をしている方もおられます。
それは誰でもできることではありませんが、 一人ひとりが無理をしないで、自分の好きなことで人の役に立つことを考えて行動すればいいと思います。 無理をすると長続きしませんし、代償を求めないまでも、相手に感謝の気持ち(言葉)を求めるようになりますが、好きなことなら、自分が楽しく、それだけで充実感を得られます。
もう一歩自分の中に踏み込んでみて、楽しくて、誰かのためになることを探してみると、ずっと自然体で、充実した日々を過ごすことができると思います。
何かを考えるときの原点は、「人も自分も両方がよくなることが、必ずある。それを探せることが大切です。但し、「よくなる」ということはどういうことか、一人ひとりの満足感 価値観で違います。自分が第一線で活躍することだけでなく、人に伝えて、自分を超える人をつくることもその一つだと思います。

私が個人指導を大切にしているのは、着方や帯結びを多くの人に一緒に同じように教えていくだけでは、自分の中に達成感がないからです。その人が、何を求め、何が出来るようになり、どう受け止めてくれたか、どう活かしてくれるのか、知りたい。
やはり私は事業としての仕事よりは人が好きで、人が伸びていく姿を見るのが大好きで、ある種の使命感と、自分の中にあるものを大切にしたいという、とてもシンプルな生き方なのだということが分ってきました。できるだけ自然体で・・・
『 力まず 媚びず  人を愛して生きていきたい・・・・』

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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