かざみきもの学院
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<2006年8月>

 

女を磨く 作法のこころ

学院長 私が22歳で高校の教員として女子高に入ったとき、同じ教科の先生が何人もおられる中で、母と同じ年齢の教科主任のとても素敵な先生がいらっしゃいました。
当時はその方に憧れ、はやく一人前の大人の女性になりたいと思っていました。いまだに大人の女性にこだわるのは、このことからかもしれません。

よく観察?していたところあることに気がつきました。動作も機敏で笑顔も素敵な方でしたが、先生同士で挨拶をするとき、片方の手に何かをもって歩いていても、ほんの一瞬立ち止まり、もう片方の手が膝に・・・頭はそんなに下げるわけでもないのに、その姿が、とてもきれいで、今でも思い出します。

作法には、時と場合によって、丁寧さを三段階 ( 真・行・草 ) に分けて考えます。お辞儀の場合は、敬礼・普通礼・会釈 と言ったほうがよく分るかもしれません。
日常の生活では、立礼で真礼をすることは儀礼的な場合以外にほとんどありません。
姿勢の良さと 間、 指先まで神経が行き届いていること、そしてもう一つ、真礼も、行礼も知った上で、相手の気持ちに負担をかけないようにする草礼。これが自然の動作、美しい立居振舞いであり、作法のこころでもあります。

けれども、着物で座って、両手を畳に全部つけて丁寧にお辞儀をする姿は、とても美しいものです。着物を着られるようになったら、一人ひとり鏡をよく見て、衣紋の抜き、衿合わせ、前帯、後ろ帯のおさまりどころ、自然なトータルバランスと、着物だから表現できる美しい所作。こんなことをしていくうちにみんな着物が大好きで本当の着こなしができるようになります。

人が人としてレベルアップするということはどういうことでしょう。
それは前よりも心が広くなることだと思います。誰でも、自分と自分以外のもっとも近い人 家族を大切に思っています。その次に友だち知人。何かをしてあげると必ず御礼の言葉、感謝の言葉が返ってきます。その次には誰だかわからない人を、動植物を、物を、自然を、大切に思えるようになります。この広がりが、目指す作法のこころでもあり、また人としてレベルアップすることでもあります。

今いろいろなところで、ごみ問題が話されるようになりました。一つの物も、できるまでには、いろいろな人の手がかかり、先人の知恵を元に、いろいろな工夫研究がなされて目の前にあります。それが使われて要らなくなったとき、みんなが、少しだけでも他に使い道はないか考え、できるだけ働いてもらって、最後に「送る気持ち」になれば、ごみ問題も殺伐とした人間関係も、少しはよくなるのではないかと思います。

お話は元に戻ります。丁寧すぎる作法は相手に負担をかけます。たとえば、若い人はほとんどの方が、正座をすると足がしびれるといいます。今、畳のない家もあります。
しびれるのが当たり前ではないけれど、しびれるのは普通の人と思って、大切なことは、こちらが「お楽にどうぞ」といってあげることが作法かもしれません。
それはそれとして、日本人である限り正座をすることはあります。楽な座り方、しびれないコツ、しびれたときの対応など知っていたほうがいいと思います。

物の持ち方、受け渡しにしても、自然で無駄がなく、理にかなった方法があります。
一つひとつの、かたちだけを覚えるとしたら、とても覚えきれません。
「かたち」から「こころ」 「こころ」から「かたち」。そのことが分かっていれば、たいていのことは、自分で判断できます。

人間を含めて、すべてのものには存在理由があり、互いの関係によって成り立ちます。広い心ですべてのものを認め、高めることが、自分を磨き高めることと思います。
かざみの精神は「 共に高く 」です。私を支えてくれている学院スタッフは、一人で頑張るよりも一緒に頑張ったほうが楽しいし、早くレベルアップできることを知っています。私も一緒にレベルアップしたいと、共に頑張っています。

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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