かざみきもの学院
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<2006年9月>

 

愛しすぎる女

学院長 もう大分前のことです。ある日の新聞にこんな文章がありました。
ミッドナイト・コール  「愛しすぎる女」  上野 千鶴子さんの文です。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

・・・どうしたら、男の人と対等な付き合いができるか分らないんです。
・・・それはね。あなたをありのまま、受け入れてもらえばいいのよ。
・・・そうなんですか。そんな簡単なことだったんですか。
と言うなり、少し緊張した面もちの彼女の目に、みるみる涙があふれた。20代半ば、都会的な身なりをした若い女性。
・・・彼に合わせようと無理してたんです。だのに愛してもらえなくて。そうやって自分を抑えてるのがつらくて。
・・・そんなことしていると相手に恨みがたまるでしょ。
・・・そうなんです。
と清楚な彼女の顔の上に、一瞬修羅が走った。最近不調に終わった恋の不首尾の原因を、彼女は自分に求めて、わが身を責めていた。
・・私が悪かったのかしら。
自分を抑えるのに疲れ、相手の身勝手に疲れ、三年越しの恋を終わらせた今、彼女は自分が本当に愛されるのかしらという不安におびえていた。

トルストイに「人の幸福はどれも似かよっているが、不幸はそれぞれに個性的だ」という言葉がある。それをもじれば、女の不幸はどれもあきれるほど「似かよっている」と感慨にとらわれることがある。愛しすぎた女の不幸。愛しかえされない女の不幸。

アメリカでベストセラーになった本に「 愛しすぎる女たち 」という心理学書がある。
愛のゲームはいつもアンフェアだ。女はゲームの賭金(かた)に自分をまるごとを賭けるが、男は片手間にしかゲームに参加しない。入れ込んだものの大きさと、返ってくるものの貧しさとのアンバランスは、ゲームの中に最初から仕組まれていて、愛のゲームの不公平は、女にとって構造的な不公平だ。女は愛されないでは存在していられないと感じ、愛情を乞うてはひもじさをつのらせる。返ってきたものより、求めるものの方がいつももっと大きいから、その落差が恨みとなって身内にたまる。知らないうちに恋の修羅になった女に、男は驚いて逃げる。それもこれも女の一人相撲だ。
「俺の知ったこっちゃないよ」と男なら言うだろう。
恋愛がそんな不均衡なゲームだと気づいたから、彼女の口から「対等なつきあい」という生硬(なまがた)い言葉が出てきたのだろう。彼女が聞きたかったのは、爪先立ちして男と肩を並べたいという願いではなく、この感情のゲームのアンバランスからどうやって自由になれるか、という問いだったはずだ。

あなたはあなたのままでいい。それだけで十分に愛される資格がある。「ありのままのキミが好きだよ」と男が言ってくれたら、彼はあなたを百パーセント人格として認めてくれたことになる。「ありのままのあなたが好き」と男を愛してきたあなただもの、そのぐらいお返しをもらってもいい。それに、「愛される」ために女が払っている努力―自制や遠慮や同調―は、しばしば見当違いなことが多い。相手につごうのいい存在になろうと足を伐(き)り、身体を矯(た)め、無理を重ねたあげくに愛されないのでは恨みがたまるが、無理をしなければ相手を恨む理由も無い。

その前に彼女に必要なのは、男に愛されなくてもひとりで光っていられる自信である。
それが持てないから、男の愛を失うと、自分が根こそぎになる。彼女は恋を失って根こそぎになったもろい自分をやっとの思いでかかえていた。

(中 略)

・・・大丈夫よ。あなたみたいなチャーミングなひと、ありのままで愛してくれる人がきっと現れるわ。
と、涙で化粧くずれした彼女の肩を、私は抱きしめた。かつて年長の女友達が私にそうしてくれたように。 (社会学者)

☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

これを読んだとき、心から「私はこのことを伝えたいのよ!」と思わず言いました。先ず、東京の娘に送りました。そしてまた、当時、現代作法と、美しく生きるをテーマに、独自の「エレガンス作法」の授業をしていましたので、その授業に使いました。
「今の女性は身勝手で男をふり回している」という人もありますが、実は時代の流れとは関係なく、身勝手に見えている女性も、本気で愛してしまうと案外こういう人が多いようです。

では、ありのままの自分ってどんな人なんでしょう。
お話はちょっと横道にそれますが、「くれない族」という言葉をご存知でしょうか。
「・・・してくれない。」自分は何も努力をしないで、人に求めて、応えてくれないことの不満ばかり抱えている人のことです。ここでは自分が何もしないのではなく、愛しすぎたので少し違うかもしれませんが、この言葉を思い出しました。

ここでいう「愛しすぎる女」は本当の意味で愛しすぎたのではありません。求めすぎ、気に入られようと合わせすぎて、もともと素敵な女性なのに、相手に都合のいい女になるために本当の自分でなくなったのだと思います。
その結果自信をなくし、「根こそぎ」になり、自分を責め、自分を否定し、苦しんでいる女性が確かに居ます。

愛は純粋なもので、相手を独占するものでも、遠慮するものでもなく、シンプルに人を愛し、そんな自分を好きになることが基本だと思います。
自分とは死ぬまで付き合っていかなくていけないのですから。たとえ他人が見放しても、自分が見放したらもう一人の自分が可愛そうです。どんなときでも、自分を嫌いになったり、否定しないことがどんなに大切かは言うまでもありません。

ただ、「ありのままの・・・」といっても、もう一人の自分が好きになってくれるように、内から外から、磨き高めていく努力は大切です。

愛しすぎて涙を流したこの女性も、いつか恨みは消え、彼とのことは楽しかったことしか思い出せなくなるでしょう。たとえそれがどんな恋であれ、打算や惰性でなく、そのとき本当に愛した自分がいたのなら、歩いた道を否定することなく、実らなくても、そのことが彼女の中で大切なものになるでしょう。そう思えるようになったら前よりもいい女になっているはずです。
そんな素敵な女性を周りの男性が気づかないはずはありません。


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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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