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<2007年1月>

 

一隅を照らす

学院長 明けましておめでとうございます。万華鏡を読んでくださっている皆様ありがとうございます。万華鏡は自分の立場や、読者の方のことも考えず、着物のことに限らず、 渡部捷子が一人の人として、女性として、その時そのときに思ったこと、感じたこと、感動したことなどを、正式の文章の書き方でなく、ただ思いつくまま自由に書いています。毎月更新なので、少し早めに書いておこうと用意しておいても、更新の時期になると、今一番思っていることとは違うといって、別のことを書いたりしています。

新年にあたり、考えていること、目指していることなど記録しておきたいと思って、2007年1月の万華鏡を書いています。

「一隅を照らす」という言葉は以前から漠然と知っていました。あるとき京都へ仕事で行ったついでに比叡山延暦寺へ行きました。このとき、根本中堂の壁に書かれてあった、「一隅を照らすとはこれすなわち国宝・・・」という中からこの文字が目に飛び込んできました。心に響くものがあり、何年か経ってからこの言葉をもう一度見たくて訪ねました。そして帰ってから万華鏡にこのことを書こうと思い書き始めました。延暦寺のこと、最澄のこと、天台宗のこと、ここで修行をした多くの高僧のこと、一隅を照らす の意味など調べていくと、あまりにも偉大で、宗教のことなど何も分らない私にとって、軽々に自分の解釈で書いてはいけないと思うようになり、万華鏡に書くことを止めて、一年余り経ちました。

新年にあたりまたこのことを書いています。私の中で少し変化がありました。
「一隅を照らす」の言葉も理屈ではなく、どう感じとったかということだと思うようになりました。「 社会の片隅でも、必要とされる人物となれ 自分の道を全うするように」と感じとりました。

これに似たようなことがこれまでの私にありました。それは現代作法のことです。
着付を始めたときから、作法を考えていましたが、とても自分が作法を人に教えられるような人間ではない。娘二人も充分な指導もできないのに・・・と長い間諦めていましたが、あるきっかけで、現代作法の指導の勉強をする機会があり、改めて考えました。完璧ということはないので、私ができることを伝えよう、娘達には全部教えてはいないけれど、彼女達は、誰かが何かを教えてくれるとき、学ぶ姿勢はある子に育てたはずだから。

形から心 心から形、私の現代作法 「 エレガンス作法 」が始まりましたが、私が一番力を入れたのは、人として女性としての考え方、生き方に関することでした。一つひとつの形を覚えることも必要なことだけど、自分で考え判断して行動できることがもっと大切であること、人にも物にも存在理由があり、愛情を持って向かえば、たいていのことは自分で判断できるということです。

子育ては、小さいときにはものごとの善悪と基本的な社会のルールを教えること、それから自分で考え判断して行動できる人になれるようにすることです。
もう一つ大切なことは、少々のことではぶれない「肝っ玉母さん」であることです。

素敵に生きることは、子供も大人も、自分で「 経験する 考える 思う 感じる 感動する 」ことから得られると思います。それは一人ではなく、多くの人間関係の中から生まれることが多く、周りの人の大切さを感じとります。

私も、美しいものを美しいと感じる感性と、人の痛みと喜びが分る大きな心を持てる人でありたいと新年にあたり改めて思います。

願わくば 「一隅を照らせる人に」・・・

 

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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