かざみきもの学院
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<2007年6月>

 

明日ありと思う心の・・・

 ゴールデンウイークは群馬に居ましたので、大藤で有名な足利(栃木県)のフラワーパークへ行ってきました。家から車で30分ほどのところですが、シーズンには全国から大勢人が集まるので、待つとか並ぶのが苦手な私は一度も行ったことがありませんでした。今回、どうしても見たくなり、平日早朝行ってきました。1本から広がった大藤も、白藤のトンネルも見事でした。その他のお花もきれいで、久しぶりに外でのいい時を過ごしました。あまり素晴らしかったので藤の写真載せてみます。

学院長

 私には、ひとりの女性として尊敬している姉がいます。やはり教員でしたが、嫁ぎ先のお母さんが、倒れてから、先生を辞め、みかんづくりをしながら義母の看病をしました。昼間は、みかん山へ行って夕方には帰って早めの入浴その後は、着物を着て(普段着を自己流で) 食事の支度をして、やはり教員の夫を待ち、食後は自分の部屋で、ひとりで、筆を持ち 書を・・・
その後、認知症の義母を看取り、次は義父を看取り、最後に自分の夫も見送りました。二人の息子は東京と松山で家庭を持ち、穏かな瀬戸内の島で一人で生活をしています。

 大分前、義兄も健在だった頃、久しぶりに姉のうちに行ったとき、床の間に

「見ずや君 明日は散りなん 花だにも 力のかぎりひとときを咲く」

という姉が書いた掛け軸がかかっていました。(九条武子) 
これは義兄が選んだものだそうです。これもまた素敵なことだと思いました。
私はずっと群馬に居ましたので、姉の家にも長い間行っていませんでした。久しぶりに会った姉の生き方を目の当たりにして、感動しました。教員を辞めた潔さ、家の前にはバラ園を作り、広い家のあちこちに、自分で育てた花を生け・・・
群馬に帰ってから、エレガンス作法の時間にこの話をしたことがあります。

 今は、民宿ができるくらいの離れをつくり、みかん山は、みかん、伊予柑 レモンの木は数本にして、その他ありとあらゆる果物の木を植え、桜の木も多くなりました。
マイ桜の下でお花見だそうです。家の前のバラ園も種類が増えました。
「海を見たかったら、いつでもおいで。何人でもいいよ!」と。親戚一同の癒しの場になっています。誰かが長期入院をしているとき、看病している人の慰労会してあげようと言い出すのもこの姉です。

 最近その姉の家の、応接間(洋間)の壁にかなり大きな書がかけてありました。
「夕やこやけの 赤とんぼ・・・・・」これは立派なもので姉の知人から入手したとのことでした。書のことも専門的な価値は分らないのですが、これがとても素晴らしく、行くたびに褒めていましたところ、ある日松山の家に大きな荷物が届き、この方の別の作品を買って送ってくれました。開けてみるととても素晴らしく、感動したのですが、今も飾らずに押し入れに入っています。

「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

 その方はもうご高齢で書けなくなっていて、あるものの中から選んでくれたそうです。
「教室にでも、マンションにでも掛けて」ということでした。
姉は年も大分離れていて、この年になっても母親のような存在ですので、私にとって大切な言葉だと思って選んでくれたのだと思いますが、その頃の私は、どちらかというと、「人事を尽くして天命を待つ」という思いのほうが強かったのです。
学院長 生徒に対しても、試験の前、ショーの前には、特にこの方法です。指導する講師にも、直前にはできるだけ色々なことは言わないようにと頼んでいます。ショーのときも、幕の上がる直前までリハーサルをしてダメだしをしてうまくいくのはプロのモデル。一般の生徒さんがステージに上がるには、いかにリラックスさせるかが一番大事なことで、前日の夜は何も心配しないでゆっくり眠り、自信をもって臨むようにと言っています。ですから、この言葉は不安を与えるような気がしてどうしても掛けられなかったのです。

 けれども最近になって、親鸞聖人が9歳のときに詠んだというこの言葉はもっと深い意味があると感じ取れるようになりました。自分の部屋に掛けようと思います。

 

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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