かざみきもの学院
トップ 学院長 本校 松山校 万華鏡 イベント アルバム

<2008年3月>

 

子供に残すもの

学院長  先日、市の青少年育成市民大会に出席しました。そのことに感化され、また「子供に・・」「これからの人たちに・・」などということを考えてみました。
先月、知人がお2人、お父さんを亡くされました。ちょうど親子のことについて考えていた頃でしたので、自分のことを思い出しました。
私は、亡くなった人は必ず何かを残し、教えてくれる。そう思っています。

 母は、家族のために愛情いっぱい注いでくれた人でしたが、具体的にぽつぽつ思い出すことがあります。
家族の誰かが早朝に出かけるとき、どんなに早くても、どんなことで(遊びでも)出かけるときでも、必ず先に起きて朝ごはんを作ってくれました。家族そろって食事をすることを大事にしていましたが、父が遅いとき、先に子供達と一緒に夕食をとっているのに、実は自分はこのとき食べていなかったこと。後で父と一緒に食べていたようです。小さい頃はおしゃべりをしているので、そのことに気づかなくて、あるときふっと気づいたことを思い出します。
家を離れた生活をするようになって、たまに帰るとき、家中の電気をつけて明るい家に迎えてくれたこと。忙しく動く母の後を追いながら、たて続けにおしゃべりしたこと。結婚してからも、うれしいことがあると電話をして、長々と話し、誰にも言えないちょっぴり自慢話も、喜んで聞いてくれたこと・・・
そして、次々と誰かの看病をするようになり、そのとき言っていた口癖は、「してあげられるうちがいいのよ」「大丈夫 私は不死身だから・・・」私達は、本当に母は死なないものと思っていました。

 親が子供に教えることは、「命と健康のこと」 「物事の善悪」 「約束を守る」 「相手の気持ちになって考える」これだけです。
残すものは、おおざっぱな「 判断基準のものさし 」と、「 親の後姿 」と考えるようになりました。このものさしは、自分で学習して、自分のものを作っていきます。けれども、自分なりのものさしが、この社会の中で生きていくため、最低必要な基本のメモリがなされていないと、とんでもない自分流、自分勝手になってしまいますから、おおざっぱな判断基準のものさしは、子供に残す必要はあると思います。

 それを元に、生きていく中で、人とかかわりながら、感謝したり、愛したり、人に対する優しさや、おもいやり が生まれ、色々なものを見たり聞いたりしていく中で、美しいものを美しいと感じ、感動することなどが自然に身についてきます。
けれども、そのことに大きな影響を与えるのは、「 親の後姿と生き様 」です。

 などなど、偉そうに、文章に書いている自分が、とても母のようにはなれないことを知り、母の偉大さを今頃になってさらに感じます。

 父はといえば無口な人で、小学校1年から5年まで同じ学校の校長で、その頃は、時々代表でみんなの前で叱られることがあり、友達に対していやなことの方が多かったと思います。今思うと、他のひとや、先生 父兄のことなど考えて特に厳しかったのだと思いますが・・
親元から遠く離れて 結婚して子供を持ち、夢中で仕事と子育てをしている頃に亡くなりましたが、亡くなるとき、父の夢を見ました。はっきり覚えていますが、子供の頃のことです。全校生徒が並んでいる朝礼のとき、一人だけ前に出されて、堂々と褒めてもらいました。本当に夢枕に立つということがあるのだと知りました。

 父が残してくれたものがあります。結婚するとき持たせてくれた、自分で彫ったお盆です。そのお盆の裏に、私に送る言葉を彫っていました。 

捷子に 「 老松の 梢の緑 新たにて 」

 その時は、自分でお盆を彫って持たせてくれたことで嬉しかったけれど、言葉の深い意味はよく理解していませんでした。10年ぐらい経って、教えてもらいました。
「年を重ねることによって風格が出てくる老松の梢に、新しく元気な緑がきらきら光っている様」ということでした。
本当に年を重ねるごとにこの言葉の深さを感じます。

 私を理解し愛してくれた人たちが随分あちらの世界に逝きました。その人たちは求められて行ったと思っています。そして私はこちらの世界でまだしなければいけない事があるから生かされています。これは私の役割です。この役割を見失いかけると、父のこの言葉を思い出します。

バックナンバーはこちら

渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
▲このページのTOPへ
©2005 かざみきもの学院