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<2008年11月>

 

いのち

学院長  これは先月の万華鏡に書くべきでしたが、私の中であまりにも感動が大きく、そのことから次々と考えることがあったので、すぐには書けませんでした

 私はもう大分前から、運命論者ではありませんが、自然の流れ、出来事、人との出会い、本、テレビなどなど、心引かれたものを自然に受けとめ、そのことは今の私へのメッセージと考えるようになりました。
7月の講師試験で、京都に行ったとき、ホテルの部屋に届いた新聞の1ページ広告で、ピアニスト フジ子ヘミングのCD全集の案内がありました。前々からこの人の曲も人物もどこか魅かれるものがありました。このページを見たとき、また出会えたという気持ちがあり、試験が始まる前でしたが、急いでメモをして帰ってすぐに購入しました。これは前書きです。

 松山でのある日の早朝、水が心配な日が続いている頃のことです。目が覚めると、いつものように、テレビの石手川ダムの様子を確認しました。それからチャンネルを変えていてふと止まりました。そしてまたいつの間にか机の前でメモを取っていました。

 途中からでしたが、医師であったお父さんをガンで亡くした、医師、細井順さんのお話でした。外科医として活躍されていた方ですが、あるとき医師としてどうあるべきか考えるところがあったと言われます。外科医のときは、技術 経験 知識 から病気を治すことで、「病気を見る」ことであり「人を見る」ではない・・と。
43歳のときこのことを柏木哲夫ホスピス医に相談したとき、「今が旬」最もそのことに適している年齢とのこと、 「ヴォーリズ記念病院」 設立に参加し、ホスピス医になられました。私はこれを聞いていて、一瞬ですが、ホスピスのことや、その考え方は分かるけれど、誰でもできることではない、これまで得た特殊な技術と経験がある外科医を辞められることは医療の面からももったいないような気がしていました。

 70代のガンが腰までまわっている男性が、 「ワニに食われて振り回されているように痛い」 というのを聞いて、1日目モルヒネを使い、痛みは半分になり、 「死ぬのは怖くないけど痛いのはねえ・・」 「戒名も決めている・・」 等々、これまでの人生を語り始め、人生をまとめる話をして、次の日痛みはすっかり取れたとのこと。モルヒネで、体の痛みが半減し、ゆっくり自分のことを話すことにより、全人的な痛みが取れたと話されました。
また、片足カットした骨肉腫の高校生の男の子に 「一番どうしたい?」 と聞いて、 「卒業式に行きたい」 という彼のために、看護師と一緒に付き添い、友人仲間が歓迎する卒業式に出席したお話など聞いているうちに、やはり、この時期、肉体と精神、両方を診られる専門のホスピス医の意味がよく分かりました。

 以前、予防医学のドクターのお話を聞く機会がありました。アメリカでは予防医学が進んでいること、これは国の経済からいっても、医療費がかかりすぎるので、病気にならないようにすることに力を入れている、というようなお話から始まりました。まだ、日本で「活性酸素」などという言葉をみんなが言っていない頃でした。
私はこのことにはとても興味があり、この先生のお話は何度か聞かせていただきました。そして、今度はホスピス医のことを考える機会に出会ったわけです。

 今、医師不足が深刻な問題になっています。東京で出産前の女性が、長い時間、受け入れてもらえず、亡くなられたことが大きな問題を投げかけています。 「都には任せられない」 、 「国には任せられない」 など、言い合っている中で、ご主人のコメントに胸が熱くなりました。誰かが 「訴訟の方は・・」 と聞いたとき、 「全くそんなことは考えていない、今も、子供がお世話になっているけれど、本当によくしてもらっている。このことで先生が辞めてしまったら、また医師が減ることになる。ただこのことから、変わって欲しい、改善して欲しい。そして、変わることができたら、お母さんが変えたと子供に言ってやりたい。」 という意味のコメントでした。このお父さんに育てられれば、このお子さんはきっと立派な大人になると確信しました。

 細井先生のことは、医師として、人として、素晴らしい方のお話と片づけてしまうのではなく、私の中でとても感じることがありました。その日早朝、このチャンネルに出会ったことは、何かのメッセージのように思えるのです。
先生は「生命」と「いのち」についてこう話しておられました。
生命は人間のトータル、動いている 生命には終わりがある。「いのち」は、死によって次の人が生かされ、受け継がされている。
人が肉体的に命を落とすことにより、新たな「いのち」が次の人に受け継がれる。
このことを聞いたときなぜか私自身、上手な表現はできませんでしたが、ずっと思っていることとダブりました。

 私は前々からこう思っていますし、人にも話しています。大切な人が亡くなったとき、必ず、自分にメッセージを残している。言葉で言い残したことではなく、紙に書いたことではなくとも、必ずその人が感じ取るものがある。私は、父からも、母からも、そして夫からも、それぞれ大きく大切なメッセージをもらったと思っています。

 今、知人のお母さんの訃報が入りました。
みんな幾つになっても、自分の親は死なないものとどこかで思っています。けれども、現実を受けとめ、その人の歩いてきた道に思いをはせていくと、必ずメッセージが見つかります。そしてその人は必ず見守ってくれます。「いのち」は受け継がれていきます。   合掌 

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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