かざみきもの学院
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<2009年5月20日>

 

2度目の松山総会・きものショー

学院長  4月25日、全国きもの指導者協会総会が松山全日空ホテルで行われました。開催校として、かざみきもの学院は、併せて、35周年記念きものショー「ぬくもり」を行いました。松山での総会は2回目になります。1回目は、ちょうど10年前の5月、しまなみ海道開通のときでした。道後、大和屋で、総会パーティーを行い、翌日は、県民文化会館(ひめぎんホール)で2時間のショーという2日がかりのイベントになりました。当時は松山校開校5年目というまだまだ、2時間のショーをするほど、松山校は力がありませんでしたので、本校から大勢参加しての合同のショーになりました。松山の人に知ってほしいという願望もあり、あえて一般の人も見られるようにとすすめたものでした。
 あれから10年、今回は同じ会場で、特設ステージを作ってのきものショーになりましたが、無事終えることができました。
太田市で行った、第1回目の総会きものショーは、初めての大きなショーでしたので、この時は、ショーをすることが目的で、特別はっきりしたテーマもなく、150人を動かすことで精いっぱいだったように思います。ただこのとき、プログラムパンフレットに、こんなことを書いています。また、これはその後いろいろな物に、機会あるごとに使ってきました。

「華やかに しなやかに  さりげなく あたたかく  艶やかに  気品高く
   その時々に女性の心を演出してくれるきもの ・・・・・」

 あれから20年経った今、一番強く感じていることは、この「あたたかく」というところです。このことは4.5年前からずっと私の中にありましたが、今回そのことを真正面からとらえて、表現してみたいと思いました。
ちょうど1年前、早朝散歩のとき、「第4のきものが見えてきた」と万華鏡にも書きましたが、着物ショーと言えば、華やかで豪華で、または斬新な、見ごたえのあるものが求められている中で、これをショーに持ってくるのはかなり難しいところがありました。
ショーはみんなで作り上げるもの、みんなの気持ちが一つにならなければできません。ある意味では地味に見えるこのテーマを、みんながごく自然に受けとめてくれたことは、本当にうれしいことでした。

 一部は「大人への階段」 かつては母から娘へ着物を通して伝えていった大切なこと、これは普通のこと当り前のことでしたが、今そのことが消えようとしていることを憂い、作法と着こなしをとりいれ表現したいと思いましたが、14歳と20歳のお嬢さん、大人の女性 変なおばさん、4人が、求めていた通り見事に表現してくれました。
二部はきもの家族、きもの友達、主に一般の方に表に出てもらい、主だった人はみんな裏方にまわりました。きものの価値は、一般的な評価とは別に、その人にとっては特別のものであったりしますので、それをできるだけ生かし、その人の着物を通しての思い、ぬくもりを大切に表現しようと、スタッフにはそのことだけを話し、ほとんど任せてしまいましたが、本当に一生懸命そして楽しそうに、頑張ってくれました。
このことは、10年前とは違い、とても力強く感じ、この人たちが、これから、本当のきものの素晴らしさを、そして私の「きものへの思い」を伝えていってくれると確信しました。
三部は、着付士軍団による振袖帯の短時間での各種結び替え、技術と華やかさを表現しました。三部のはじめ、黒装束の着付士が、暗転板付き、ブルーの証明があたり、シルエットから始まったこの演出は大成功でした。

 私はこういうプログラムパンフレットを作るとき、挨拶文はもちろん載せますが、それとは別に、目立たないように(ひかえめに)本音の文を載せます。
この方法をどうしてとるのか自分に聞いてみました。回答が出ました。「ございます体では、本音は表現できない」ということです。そして、この時自分が思っていることを残しておきたいという思い。目立ちにくくするのは、全員に読んでもらわなくても誰かが読んでくれる。読んだ人は、私の今の本音を理解してくれるに違いない。そんなところがあるのだと思います。
私にとって、ショーも、も万華鏡も、そのとき思っていることの表現であり、このことは「生き様」の記録でもあるのかも知れません。

 万華鏡をいつも見てくださる方は、このことを読み取ってくださる方のような気がしますので、載せてみます。

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 12月、群馬に向けて松山を発つ日、1年を振り返ると、仕事は何とかこなしてきたけれど、それ以外の前向きの動きが自分の中になかったことに気づいた。夫の1周忌も終え、5ヵ月後に控えた大イベントに燃えなければ・・・と。上が燃えないで人を燃やすことなどできるはずがない。その法則を痛いほど知っているだけに、自分がなさけなく、だんだん自信をなくしていった。

 松山を発つ時、夕日がきれいで涙が出た。羽田に着くと糸のように細い月が美しかった。

 学院の前に着いた時、駐車場には隙間がないほどべったり車がとまっていた。教室では1週間後に試験を控えたグループが頑張っていた。その上達ぶりには驚きがあった。別の教室では新春きものパーティーのショーの練習をしていた。私はその人たちの中に入り、 空港で流した涙などどこかに忘れて、たまらなく嬉しくなった。

 私の周りにはいつもどこかに驚くほど燃えているグループがある。私はその人達からパワーをもらって今日まで元気で来られたと思う。「一生懸命の姿は、自分によい結果をもたらすだけでなく、他人にも影響を与える。」ということを伝えていきたい。先生と生徒、大人が大人を教える。たまたま先に学んだ人が後の人に教えているだけで、このことを通してお互いに高め合っていく。

 きものを着ることから始まりそれに合った立居振舞い、言葉、ものの考え方、心の広さ、生き方までも、上へ上へとかきたてるきっかけとなる 「きもの」。 資格を得て立場を変えて人と接していくにつれ、さらに心が広くなり、母性本能でもある大きな愛へと変わっていく。そんな様子を色々な人の中から感じてきた。おしとやかとか着物振興とかいうことばを超えて、女性が見栄や虚栄を捨て、自信を持って前向きに生きるための大きな役割を果たしていることに気づき、驚き、感動している。

 きものは女性の生涯共育 ( 教育ではなく共育 )の最高の媒体である。

 私の、この きものとのかかわり方の一番の理解者は夫であった。

合掌   平成11年5月16日

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  私がこの道に入ったきっかけは大人の女性への憧れからでした。その時描いた女性は、着物を着ていました。それは、豪華でも華やかでも粋でもなく、シンプルで凛としたきもの姿でした。心ひかれたのは、着物よりも着る人にあったようです。きものを通して多くの女性とかかわることによって、ある時期、分かってきたことがありました。「きものが女性を内から外から磨き高めていく」ということです。それから何年か過ぎ、今たどり着いたのは、人からきもの、きものから人へ、肌で心で感じ、伝えていく「ぬくもりのきもの」です。

 私が松山に戻ってきて一番感動したことは、「ことばのちから」です。否定のことばや後ろ向きのことばが多い中で、なんて温かく素敵なことばだろうと思いました。今も市内電車を見るとことばを探しています。このショーのタイトルも、このあたりから生まれました。ショーの準備をしている間にもうひとつのことばが前に出てきました。そして、これが私の一番言いたかったことに気付きました。それは「きもののちから」です。今回のショーは、華やかで、斬新な、見ごたえのあるショーではありません。以前は生活の中にあったきものを通して、自然に身に付き、母が娘に伝えた普通のこと、あたりまえのことが今忘れられています。
きもの指導者として、みんなで、この「きもののちから」を見直し、好きなきものとかかわりながら、もう一つの役割も果たしていきたいと心から思います。

平成21年4月25日

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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