かざみきもの学院
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<2010年1月>

 

今・・母の役割

学院長  明けましておめでとうございます。本当に長い間ご無沙汰しました。
昨年後半は、体調の面で、色々なことがありました。総会の準備で、深夜に仕事をする習慣がついたのがなかなか抜けず、体内時計が狂ったためか、体調がよくない日が続いたかと思うと、その後、右手の腱鞘炎で悩まされ、手術をしてやっと普通に使えるようになりました。大病をしたわけではありませんが、普通に毎日が過ごせることがどんなにありがたいことか実感しました。また、周りの人達に面倒をかけてしまい、申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。

 その間、必要以外の外出をしなかったので、政権交代、その後のこと等、いつもよりテレビを見る機会がありました。「子供手当」の話が出てから、私は不思議で仕方ありません。人間、お金がないよりある方がいいに決まっています。けれども、借金をして目先の家庭にお金をばらまくよりも、保育園を作ってと思っていましたが、子供を預けるようになって働こうと思っても今度は働く場所がない。専門的なことは分かりません。分からないだけにシンプルに考えられます。
ばらまくよりも働く場所を。そのためには企業の成長を。諸外国とのぶれない信頼関係、資源のない国だけに、世界のトップをいくための技術等の研究開発を・・・。

 子供たちのためには、まだまだお金以外のことで、親や周りの人が本気で向かい合い、努力することで、もっともっと効果が出ることがあるはずです。逆にお金が邪魔をしていることも多くあります。子供たちが本当に望んでいるのは与えてくれるお金ではありません。
また、人は何もしないで与えられるお金より、自分が働いて得たお金の方がどれだけ価値があるかたいていの人は思っています。本当にその人たちのことを、ずっと先まで幸せでいてほしいと思うなら、お金や物を与えることには限界があることを考えます。その人が自分の力で働き、それがきっかけで「それぞれ自分で考え工夫をしてお金も達成感も感動も得られるように」そのための方法を考えます。これが私の持論であり、何かを決めていくときの判断基準になっています。ですから国が借金をしてお金を配るということがどうしても理解できません。

 それはそれとして、こういう時だからこそ母の役割があります。メディアは不況と政界のふがいなさを毎日伝え、その言葉をそのまま家庭でも使い、子供はますます暗くなります。戦後特別の人を除いてみんなが貧しかった時代、母親はみんな知恵を出し工夫をして家族をささえ、暗くなりがちな家庭を明るくし、子供たちがまっすぐに伸びていけるよう努力をしてきました。本当に努力をしたと思います。
私は、ここにきて、先輩方の生活の知恵が気になり、当時の母の力の偉大さをしみじみ感じます。今は何でも便利なものがあり買うことができます。けれども、どんなものでもいいから子供と一緒に考え工夫をしてみることが大きな意味を持ちます。子供と一緒に古いタオルで雑巾を縫い、いらなくなったTシャツを切りウエスを作り、掃除のときや、気づいたときに使って捨てる。この時小さい子には「タオルが、Tシャツが捨てられるのにもう1回役に立ってきっと喜んでいる。」と、「物の命」の話を。
子供は目で見て、身体で体験したことは覚えていて思い出せます。

 大晦日、朝の忙しい時、ふと目に入った、「森のラブレター」の紹介の中での脚本家、倉本聰さんと国分太一さんの、ゴルフ場後地に木を植える話。埋めたドングリが雪の下を掘ってみるとしっかり根を出している様子、苗木を植えるのに3本同じところに植えるのは、競い合って生長を促し、またお互いが日影を作ったりして助け合うというお話も心に響きました。神中心から人間中心へのルネッサンスから、今お金から自然への「環境ルネッサンス」へ。昨年2月の「T」を見逃したのが残念です。
「森のラブレターU」1月9日、是非見て下さい。きっと優しく、幸せな気持ちになれると思います。

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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