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<2010年9月>

 

母から娘への原則

学院長《 トンネルを抜けて 》

 人は生きて行く間に色々なことにぶつかり、その都度立ち止まって考えたり悩んだりしますが、時にはそのことから自信をなくし鬱(うつ)の世界、長いトンネルに入る時もあります。やがてほとんどの人は、それぞれのトンネルを抜けて行きます。トンネルは、川端康成の雪国に出てくるように、トンネルを抜けると雪国という全く違う風景のこともありますが、大体は、入る時とあまり変わらない景色のことが多いものです。それでも違って見えるのは、入るときは下を向き、出る時は上を向いている、その人の気持ちの持ちようによります。

 私も、1年近くトンネルの中に居ました。過労から体調を崩し、引き続き右手腱鞘炎から、手が使えず簡単な日帰り手術をしました。身体のことは、普通の人が考えると、本当に軽いもので、大病を宣告されたわけでもなく、日帰り手術でこんなことという内容ですが、気持ちの方がどんどん落ちて行きました。そう言えば、私はあまり病気をしたことがなく、この仕事のおかげか、四十肩も更年期も自覚がないまま歳を重ねてきましたので、自分の思うように動けないことから、体力気力が落ちて行くことの不安が大きかったのかもしれません。

 教えることを仕事にしている限り、信念と、ある意味での自信がなければ、話しても、書いても、言葉は伝わらないことは知っています。昔憧れた凛とした着物姿の大人の女性・・・考えるほどにだんだん自信をなくしていきました。
この時期、仕事以外のほとんどの外向きのことはやめました。あまり外に出なくなりました。メールもこちらからあまりしなくなりました。その中でも「これは危ない!」という冷静な目も持っていました。

 これではいけないと新年にあたり、万華鏡は再開し、友人にも年賀メールを送りました。そして、体調が戻るにつれて、鬱(うつ)の方も少しずつ良くなっていきました。

 7月、東京から京都への新幹線の中、いつもなら半分は寝て行くのですが、今後の方向、伝えたいこと、表現する言葉等、驚くほど次々と湧いてきました。忘れないように記録をしていたらあっという間に時間が過ぎ、短いトンネルを抜けて京都へ着きました。 そして私のトンネルも抜けていました。自分の歩く道がしっかり見えてきました。そして自分の役割の再認識をしました。

《 母から娘への原則 》

 お母さんが子供に着物を着せてあげる。着物のことは母が娘に教える。おばあちゃんが着ていた着物を仕立て直して孫娘が着る。他の人にはその着物の価値は分からなくてもその人にとっては大切なもの。着物にはそういう思いを受け継いでいく独特のぬくもりがあります。着物を通して心が繋がります。

 一番先にある私が理想とするところは「母から娘への原則」です。
今、世の中が目まぐるしく進歩して、母が娘に教わることが多くなりました。そんな中で、「着物とマナーは母から娘へ」これだけはしっかり守っていけると、いいお嬢さんに、そして素敵な母娘関係でいられると思います。間違っても成人式に、肌もあらわに肩出し着付けはさせないと思います。
これは私の持論ですが、「 日本人が着物を好きなのは本能 」と同時に「本来の母と娘の当たり前の関係」です。言い換えれば、原点である日本の心を受け継ぎ伝えて行くことです。

 これまでは、着方着せ方をマスターするだけでなく、「着物を通して外から内から磨き高めて、素敵な大人の女性になること」を目標にしてきましたが、これまで携わってきた人達が、積極的に一歩踏み出し、「着物を通して人とかかわり、いい関係を作る」ことを目標に掲げます。
その人達が第一線で活躍してくれることも大きな目標であり楽しみです。
そして「好きなことで誰かの役に立てることの幸せ感」を感じてくれることと確信しています。

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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