かざみきもの学院
トップ 学院長 本校 松山校 万華鏡 イベント アルバム

<2011年4月>

 

東日本大震災

学院長 この度の、東日本大地震(東北地方太平洋沖地震)で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 想像もしない、あまりにも大きな震災でした。群馬の自宅学院あたりも、群馬県でも東南の県境に位置しているので、震度が出て直後、松山から電話をするけれど、携帯、学院電話も不通、ただ一つ、特別の機能のついていない昔からの電話が通じて、娘の無事を確認。ひとまず安心しましたが、それからはどれも通じず。テレビからの映像は、この世のものとも思えない、まるで、映画のシーンのようでした。こんなことが現実なのかと疑うばかりのすさまじさ。我が家も、家の中の物が飛び、壊れたものもあったとはいうものの、また、いまだに屋根にブルーシートが掛かっていますが、大したことはなく、修理も「大きいところから順番で、まだまだ先だと思う」とのことです。

 それから、時間がある限りテレビを見ていました。町が根こそぎなくなった様子がある中、避難した方が、家族・親戚・友達などへのメッセージをマイクに向かって話しておられました。皆さん冷静に「無事です。元気です。」と・・・。無事ではない、元気ではないのです。今生きていることを伝えようとしているのです。
世界中の人が、あれだけ大きな震災にあった人達が、パニックにならず、冷静に行動している姿を見て、日本人の資質の高さを話していました。順番を待つのに整然と並ぶ習慣のない国などは特に感じたようです。

 喪失感の中、ある避難所で、早々と自発的に係を決め行動している様子がありました。学校だったからか、中学生の女の子が、お盆におにぎりをのせ、一人一人にとってもらっていました。小さい女の子が、その中の1個を(1個だけ)嬉しそうにとっていた様子を見た時涙が出ました。まだ何日も経っていない時でした。 

 被災された方のお話です。中学生がトイレの管理をしている。流す水をプールから汲んできて並べておく、案内 掃除はもちろん、トイレットペーパーを持ち入口に立ち、使う分だけ取ってもらい、一人一人に深々と頭を下げる様子をあげ、その方の言葉ですが、「日本全体が試されている。」「世界が日本を見ている。」やっと家族の消息が分かったばかりの方でした。

 ある卒業式で、代表の男の子が、「家族の大切さ、地域の皆さんに支えられていることを知った。将来役に立つ人になって、地元に貢献したい。」また別の子は、「人の悲しみ 苦しみが分かる大人に・・・」話していました。これは心の底から湧きあがってきた言葉だと思いました。

 子供たちの明るい笑顔を見るとほっとしますが、専門の方のお話では、子供ながら我慢をしている。一人になると別の部分が出る(不安)。表面だけでなく内側を理解するようにとのことです。トラウマを持ったまま大人になるといけない。「ガマン」を解放してあげる。はき出すことが大切。目の前から、親、友人、家がなくなる。大切なもの、頼りになるものがなくなることで不安が大きくなり、やがて吐き気、頭痛、動悸、息苦しさ等PTSDの症状が出たりすることがある。落ち着きがなくなる、甲高い声で話す、泣かない子は特に注意をするようにということです。
話をする時は、まず「共感」。からだの一部をさわる。下の名前を覚えて呼んであげる。など、安心させることが何より大切とのお話でした。

 みんな「頑張って!」と言います。励ましの言葉ですが、中には、冷たく感じるという方もおられました。「精一杯我慢もして頑張っているのに、これ以上何を頑張ればいいの。」このことは以前、入院していた方から同じようなことを聞いたことがあります。
必ず「ありがとうございます」とお礼を言われる、被災者の方に、ボランティアの方が「頑張らなくていいから、私たちに甘えて下さい。」という一方で、長く被災者の支援をしてきたリーダーの方は、「何でもしてあげるのではなく、自分たちで役割を決めて自分たちでできるようサポートする。動くこと、役割、人のためにすることで元気が出る。」と言われます。どれも深い愛で、どれも必要なのです。

 震災の翌日、東京電力が、供給能力不足があるため節電を呼び掛けました。すぐにそれを受けて、ツイッター仲間に「ヤシマ作戦」と名付けて、停電回避に向け、あっという間に賛同者が団結をして広まりました。その中から節電のポスターを募集し、手分けして町を歩き貼ってもらい、そのことから、町の人も意識を高めていきました。京都の女性が、「聴覚障害者に、情報が分からない」とつぶやくと、それを受け、できる人達がそのことを解決しました。また、実際に何が足りない、何がほしいか知ることができる。一度に大勢の人に伝わりすぐ行動に移せる。仲間で解決する。この力には驚きがあります。

 被災地ではない人に、義援金以外にできることは何か考えていました。ヤシマ作戦の名前は、アニメに登場した、日本中から電力を集めた作戦からだそうです。
西の人も節電して東に送りたいところですが、現実は周波数の問題で(東は50Hz西は60Hz ドイツ製発電機 米国製発電機による)変換できるのには限界があり(100万kw)送れません。

 みんな何かを、できることをしたいと思っているのですが、何をしていいか分からない人が多いのが現状です。直後は被災地以外の所も、「・・不謹慎」と、色々なことを自粛してきましたが、そうでなくても不景気な中、みんなが落ち込んでいると、経済の面で、本当に日本が沈没してしまいます。できるところは、自粛 節約ではなく、いつものように元気に活動し、人が、物が動くことが大切なのだと思えるようになりました。

 陸前高田の有名な松原が、津波で壊れた中で、1本だけ元気に立っている姿は、復興に向けてのシンボルになるでしょう。我が家の庭の枯れたと思った木から新芽が出てきました。   ただ・・ただ・・祈るばかりです。

 学院生、卒業生の皆様、そして、万華鏡を読んで下さっている皆様、被災の有無を問わず、どうか近況をお知らせ下さい。

バックナンバーはこちら

渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
▲このページのTOPへ
©2005 かざみきもの学院