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<2011年5月>

 

九州総会 「ハウステンボス」

学院長 今年も総会出席者が、それぞれの都合で、グループに分かれて現地集合になりました。松山組は、車で松山を発ち、南へ下り、三崎港から佐賀関へのフェリー。九州へのフェリーは、松山〜大分、松山〜小倉、八幡浜〜臼杵とあり、利用したことがありましたが、このルートは初めてでした。以前佐田岬の先に立ち、向こうに九州が見えたことを思い出しました。

 南北を太平洋と瀬戸内海、東西を四国と九州の間の海を豊後水道と言いますが、ここは特に豊予海峡といって、この海を渡るのは最短距離ですが、それだけに狭い所に流れが集中して潮流が速くなっています。この海峡は波が高く海底の起伏が複雑で、網を使った漁に適さないので、昔から「1本釣り」で、その売買の扱いも独特で、魚にストレスがかからず、傷つきにくいため鮮度が高いとされています。佐賀関に上がったものが、「関サバ・関アジ」の商標登録をして、一つのブランドになっていることはご存知の方も多いと思います。この同じ海でとれる魚が、愛媛の側にあがると佐多岬から「岬(はな) サバ・岬(はな) アジ」といってこれも商標登録をしているそうです。

 少し横道にそれましたが。そういう訳でここは波が荒く船が少し揺れましたが1時間足らずで佐賀関に着き、福岡に向いました。途中、大宰府天満宮に寄りました。ここは是非行きたいところでした。ここにはかざみのマーク梅の花の家紋があります。この万華鏡の第1回目にこのことを書いています。

 「学問の神様」 「菅原道真」 「東風吹かばにほいおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」 お土産は 「梅ヶ枝餅」 と断片的には知っている方は多いと思います。京都から右大臣の菅原道真が、左大臣の陰謀で筑前大宰府に左遷され、京都を発つ時、可愛がっていた梅に、「私はここを発つけれど、春になったら忘れずに咲いて、東風にのせてにおいを届けておくれ」 と詠んだものです。梅は道真を慕って後を追い、飛んでここに降りたという 「飛梅伝説」があります。写真はその飛梅です。 (小雨模様の長距離車移動なのでこの日は洋服です)
道真はとてもよく学び出世も早く、このことを嫉妬して左遷されたようです。とにかくよく学ぶので学問の神様と言われています。この日も、受験に合格した御礼の様子の親子でお参りしている方が何組かありました。
  福岡の夕食は街に出て盛り上がりましたが、飲み足りない人は、ホテルをスルーして福岡の街に消えました。

 翌日はみんなは長崎観光ですが、私は別行動です。羽田から福岡空港に着く娘を待って、博多から連鎖校のある諫早まで。今度講師試験を受ける人の指導、夜は連鎖校の皆さんと会食。それぞれ綺麗にそして自然に着こなし、本当に着物を好きな方たちの集まりでした。夜11時前の静かなハウステンボス、ホテルヨーロッパへ、チェックイン。

 翌10日総会当日、夕方の総会までのんびりハウステンボスを散策。松山から1日遅れで到着した人も、群馬組も集合し、総会と九州地区のショーとパーティー。今年も参加だけなので、ゆっくり楽しく過ごせました。松山で開催した時のことを思い出し、開催校のご苦労が伝わってきました。

 会場の入り口には災害の義援金募金箱。パーティー、観光などしていて、ひと時被災地のことも忘れていましたが、また胸が痛みました。今は全国的に、被災地も自粛ではなくそれぞれのイベントをどんどん行い、経済の活性をと言うようになりました。総会も今年は西端の地でしたので、無時終了しました。

 翌11日は群馬組と別れ、一路佐賀関港へ、また豊予海峡を渡り松山に帰りました。
夕方大きい余震のニュースを見て、心配しましたが、群馬組は飛行機で空の上、帰ってからも、家の中の目立った被害もなかったようで安心しました。3泊4日の楽しい旅でした。

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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