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<2012年4月>

 

雪ときものの十日町

学院長 3月3日4日と群馬の人達と新潟県十日町へ行ってきました。熊谷駅集合。着物で行く予定でしたが、今年はまだテレビから雪の便りが届いているので、みんな心配になり洋服の冬支度になったようです。
このあたりは雪の深いところですが、それだけに除雪は進んでいて、主な道路は両側に高い雪の壁があっても、道路はきれいになっています。私は雪の時期に何度か行っていますので、車で動くと着物姿でも全然不便ではないことを知っていますが、皆さんの気持ちも分かります。

 新幹線で越後湯沢まで。川端康成の「雪国」に「トンネルを抜けると雪・・・」と書かれているように、いつも群馬県と新潟県の県境のトンネルを抜けると、入るときとは違う風景になりますが、その日はいいお天気で、太陽が積もった雪を照らしていました。
越後湯沢から北越特急ほくほく線に乗り換え30分余りで十日町駅。いつもは越後湯沢までお迎えいただきましたが、ほくほく線ができて、列車で早く行けるようになりました。

 初めに、着物の洗い・シミ抜き・修正・その他加工の 「きものブレイン」を見学。こちらはスタート時点からお世話になっていますが、行くたびに大きくなっているのには驚きがあります。皆さんの丁寧で高度な技術はもちろんですが、時代のニーズに合っていることも言えると思います。
丸洗い・シミ抜き・黄変抜き・ヤケ直し・工藝修正・ガード加工・検品・仕上げ・その他、どれをとっても高度な技術であることはもちろんですが、とても丁寧で着物に対する愛情を感じます。
十日町は周辺の塩沢・小千谷などと共に古くから有名な着物の町でしたので、ほとんどの家で着物にかかわる仕事をしていた方がおられました。時代は変わっては来ましたが、その着物に対する思いというのが若い世代にも受け継がれているのだと思います。

 古い着物を持ってきて、シミ抜き・洗い張り等の相談を受けることがありますが、シミ抜きはシミだけをとればいいのですが、古い物は汚れで染まっている状態 (黄変) ですので、一度その部分の色を抜いて白くし、それから地色と同じ色を筆でのせていきます。技術は言うまでもありませんが、繊細な色彩感覚が求められますので、何度見ても感心します。刺繍や箔の修正も高度な技術が求められます。
丸洗い・虫干し・長期保存のシルクパック・その他見学の最後は仕上げです。
教室の誰かが、届いた着物がふあっとあまりにもきれいに仕上がってきたので、思わず 「もう着ないでこのまましまっておきたいくらいきれい」 と言ったのを思い出します。 《それは困ります。着てこそ着物です!》
仕上げは着物全体が広がるアイロン台の角に肩を通して広げ、蒸気アイロンで布につけないで浮かして仕上げます。この蒸気は台の下から抜けるようになっています。ここでは寸法点検( 縮み)もして仕上げます。これを見終えて、みんなこんなに着物を大切に扱ってくれていると、着る側の立場で、身の引き締まる思いがしたと思います。

 次はクビリ(括り)絣・すくい織の織元へ。糸を括って柄を作っていく気の遠くなるような作業です。この技法は伝承絣として受け継がれています。手旗のすくい織の技法も見せていただきました。
こうして作られた着物は、大切に着なければと、ここでも、着る側の立場がどうあるべきか考えさせられました。

 いよいよ当間高原ホテルベルナティオへ。ベルナティオはイタリア語で 「美しいふるさと」 という意味だそうです。普通の高層ホテルと違い、広々とした高原にゆったりと構えたこのホテルはとても好きで、プライベートでも時々利用します。夕食は、あまり広くない宴会場を用意していただいていたので、留守が多い私も本校の皆さんと久しぶりにゆっくり楽しくおしゃべりができました。

 翌日は、十日町市博物館見学。こちらでは、国宝指定の笹山遺跡からの火焔土器をはじめ、多くの土器や、積雪期の民具などが展示されていました。このあたりは麻織物が盛んでしたので、原料カラムシ(苧麻)の皮から繊維になり製品ができるまでの工程や紡織用具等の展示がありました。
十日町は麻から絹織物へと移り、織と染め両方の産地として発展して行きました。やがて 「御召」 「十日町絣」 などが出てきましたが、よく知られているのは、蝉の羽と言われるほど薄くて軽い 「明石縮」 「マジョリカ御召」 などですが、 「PTAルック」 と呼ばれて大流行した、入卒の母親がみんな着ていた黒絵羽織もこちらの物です。今では京都に次ぐ規模の絹織物の産地です。
周辺には、「小千谷縮」 「越後上布」、そして私の好きな、撚りのしっかりかかった着心地のいい 「塩沢」 などがあり、このあたりは何度来ても飽きません。

 その後、越後湯沢への途中、塩沢へ寄りました。これまでに何度か塩沢の織元を見学しましたが、この日は休日ですので、昔の宿場町を再現した、牧野通り、別名「雁木通り」を散策しました。豪雪の上越市高田にも雁木通りがありますが、かつて、雪で通れなくなるのを木でアーケードのようなものを作ったものです。今ではこれを大切にしているようですが、塩沢もこれを再現し、お店はもとより郵便局も銀行も医院もレトロ調の何か落ち着く通りでした。雁木屋入口のお目当ての半熟カステラを買ってみんな御機嫌で帰路につきました。

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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