かざみきもの学院
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<2013年4月>

 

「体罰」という言葉

 例年より早い桜の開花で、各地で早くから賑わっていたようです。桜の名所は色々なイベントの予定を立てていたのに、桜さんが予定通りにしてくれないので、関係者は・・・。桜も紅葉も生き物なので、こちらの言う通りにはなりません。そんなこんなで各地で色々ありましたが、どこも例年以上に盛況のようで、楽しそうなお花見風景が流れてきます。
みんな桜に魅かれるのは、一斉に咲き、冬の間静かに下を向いていた人達が、春爛漫、桜を見上げ皆と幸せなひと時を共有するから。そしてまた、ほんの数日で散っていくはかなさと、その後に、花を押しのけるように緑が一日一日大きくなってくる力強い様子が勇気と元気を与えてくれるからでしょうか。

 写真の私のマンションの桜も満開時は本当にきれいで、皆さんに「お花見行かなくてもいいですね」と言われます。いえいえ、行ってきました。姉の自慢の「マイ桜」。義母が倒れて、看病のため早くに先生をやめて、義父から引き継いだみかん畑も、両親を看取った後、齢のせいか、嫁の勤めは果たしたからか、みかん作りはやめて、花好きの姉は家の前にはバラ園、みかん畑だったところはあらゆる果物の木を、余ったところは桜だらけ。そのことを喜んでいた義兄も送り、今では色々な人がお花見に来られます。今年も声がかかり行ってきました。

 3月万華鏡で、朝まで生テレビのことを少しだけ書きました。教育問題ですので、当然体罰のことが出てきました。ずっと不思議に思っていたことがあったので少し調べてみました。

 「文部科学省による体罰の定義」を、そしてまた、ある県の教育委員会の体罰の定義、ガイドライン、実例をあげての体罰か否かの判断と教師への指導が詳細に書いてありました。
学校の先生は、何かの時に、自分の判断ではなく、このことを照らし合わせながらこれはいい、これはだめと判断しながら指導をしていくのでしょうか。校長先生や教育委員会は、何事も起こさないようにと願っているのでしょうか。子供達は先生に叱られる時、その理由よりも、子供もこれは体罰かどうかと判断したりするのでしょうか。どこかで聞いた話ですが、小学生で叱られた時、先生に対して「教育委員会に言うよ!」と言う子がいるそうです。
今、「さとり世代」という言葉がよく出てきます。この子たちが成人して社会に出て、次の世代は「何世代」と呼ばれるのでしょうか。

 「体罰」という言葉が走り回っています。「体罰」はなくしてほしい。「体罰と言う言葉」をなくしてほしいのです。指導か暴力かの二つであって、曖昧な体罰などと言う言葉があるから混乱するのだと思います。ほんの一部の先生のために、真剣に子供達のことを考え指導している先生達が、自分の判断でなく、どうしてこんなことに神経を使わなくてはいけないのでしょう。目に余る暴力をふるう先生(?)は、校長先生が責任を持って、その人と真剣に向かい合い指導し、それでもできない場合は教育委員会と相談対処し、他の先生方が信念と愛情を持って、毅然として子供達と向かい合えるような方法を一緒に考えていくのが、上に立つ人の役割だと思います。もちろんそのことに懸命に取り組んでおられる先生方もいらっしゃることは言うまでもありません。これだけ「体罰」という言葉が駆け回っているのはメディアのせいもあると思います。

 少々いたずらはするけれど、キラキラ目を輝かせていた子供達が大勢いました。今でもほとんどがそうだと思います。勉強はあまり好きではないけれど、得意なことを先生が認めてくれ、褒めてもらったことからその道に進み、それぞれの道で活躍している人が大勢います。どんなことがあっても先生は自分のことをいつも見てくれているという安心感から子供らしい子供が次第に成長して行きました。

 大分前のことになりますが、私の娘が小学校の時、子供と先生と親がひとつのノートに思ったことを書いていく交換ノート(?)のようなものがありました。クラス全員の人にです。
当時私は、仕事で忙しくしていましたので、子供のことをしっかり見ていないかもしれないという思いがありました。それだけに、子供の様子が分かるこのノートがどんなにありがたかったかしれません。

 以前、本だったかテレビのコメントだったか、どなたが言ったかも忘れましたが、内容が強く私の中に残っている言葉があります。「子供は、親以外に、担任の先生でも部活の先生でも近所のおじさんおばさんでも、誰でもいいから、1人でもいいから、大好きな大人がいれば絶対大丈夫です。」
その時私はこう理解しました。親はもちろん誰よりも自分の子供が大好きで、子供も分かっています。それ以外の大人は親よりも客観的に見てくれます。その人が自分のことを見ていてくれる、認めてくれることで自信ができてくる。本人は気付かないけど、子供の中にそういう分析がなされているのだと思います。「頑張れよ!」「頑張ったね!」そう言ってくれるこの人に、迷った時悩んだ時、心を開いていくのだと思います。

 昔はそうだけど今は事情が違うという方もおられます。でも、人間の一番奥にある本質は変わらないと思います。子供達の奥にある柔軟で優しくそして力強いものを、親も先生も周りの人も、お互いを信じ合い、助け合って、育ててあげたいものです。

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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