かざみきもの学院
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<2013年8月>

 

人は生まれながらにして

 中国の孟子の教えに「人間は生まれながらにして善である」という言葉があります。
先日ある大学(大学院)のグループが10か月の赤ちゃんで実験し、「人は本来は善人」というのを一部見ました。これだけでは証明できないのではと思いましたが、このことを思い起こさせてくれたことは事実です。

 私は、特別、いつからということなく、「人はみんな生まれながらにして善人」と信じています。
先日、さいたま市南浦和駅で、電車とホームの間に落ちた女性を助けるために、その場にいた人たちが車体を押して助けたニュースがありました。 何人かの人が行動に出て周りの人が次々に参加し40人ぐらいとのことでした。
このことは外国でもニュースになり、日本人は素晴らしいと、震災の時に略奪や暴動が起きることなく整然と並ぶ姿を思い出し、自分の国ではこんなことはできないだろうと、日本人を絶賛しているところもありました。「人は皆」ですが日本人は特にかもしれません。ところが皆で電車を押そうといったのは外国人だったそうです。

 人は皆、生まれながらに善人です。赤ちゃんは穏やかで心地よいこと、お母さんの笑顔が好きです。だんだんお母さんをはじめ、周りの人から色々なことを吸収し学習し、育っていき、人格ができていきます。褒められ認められるとどんどんプラスの方に成長していきます。けれどもプラスのことだけではありません。

 みんな正の部分で認められたいけれど、それができないと負の部分で存在感を出そうとする子が出てきます。そしてその子は負のレッテルを張られ、ますますその方向に向かっていきます。
どんな子も「善」「美しい心」を持っています。正の部分で認められたいのです。この部分を認め、本人に伝え、伸ばしていこうとするのが教育であり、親であり先生です。親の接し方が一番ではありますが、先生(特に小学校)の仕事であり使命でもあると思います。
父が先生になるなら小学校といった言葉が最近特に理解できます。私が何の不思議もなくこういう考えを持っているのは両親の影響かもしれません。

 だんだん大人になってくると社会に認められる、名声を上げる欲というのも出てきますが、名声をあげた人が、案外不安だったり孤独だったりすることがあります。
 一方、そうでなくても、一人でもいいから素の自分を知って見ていてくれる人がいる、認めてくれる人がいる。それだけで自然体でいられる人もいます。どちらが幸せかは誰も判定できません。

 この歌をご存知でしょうか?松尾和子さんの「再会」という刑務所にいる恋人を想う歌ですが、その中のフレーズで、 「みんなは悪い 人だと言うが 私にゃいつも いい人だった・・・」。当時私は何歳頃だったか定かではありませんが、初めてこのフレーズを聞いたとき涙が出たのを覚えています。この歌が特に好きということではありませんが、今でもこの言葉を思うと涙が出ます。

 人は皆、生まれながらにして善人であり、中にはそれを負の布で幾重にも包んでいる人も居るかもしれませんが、ゆっくりはがしていくと中には純粋で熱い、美しい心が必ずあると思っています。  

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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