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<2014年2月>

 

ウズベキスタンと日本人捕虜

 「ウズベキスタンと日本人捕虜・ナヴォイ劇場・桜・・・」。最近テレビでも取り上げられ、ご存知の方も多いかと思いますが、前から気になっていたことなのでもう少し知りたいと思い、調べてみました。

 ウズベキスタンは、中央アジアから西アジアに位置し、海に出るのに国を二つ超える二重内陸国です。旧ソビエト連邦の共和国でしたが 1991年ソ連崩壊により独立しました。独立より大分前のことです。
第二次世界大戦で敗戦し捕虜となってシベリアに連行された日本人は、技術集団でした。日本人の持つ高い技術と能力と、旧満州にあった機械や設備を使って、道路や水力発電、鉄道、建物建築等、過酷な条件の中、ソ連の建国のために働かされました。

 ウズベキスタンの首都タシュケント市に “国立ナヴォイ劇場” があります。この建物は、捕虜となった日本人が 2年の月日をかけて建設したものとして知られています。ウズベキスタンのタシュケント市に抑留された人たちも、文句も言わず、黙々と手抜きをせず作業をたそうです。国立ナヴォイ劇場の建物などは、今やウズベキスタンの人たちの誇りとさえなっています。当時、ウズベキスタンの人たちは、日本人たちは捕虜なのに、どうしてあそこまで丁寧な仕事をするのか、どうして真面目に働くのか不思議がりました。次第に地元の人たち(子どもたちも)が少しずつ食料をそっと届けるようになり、そのお返しに木の端で作った手作りのおもちゃをそっと外に置くようになったりしたそうです。

 その後、タシュケント市には、大地震が起こり、市の大部分の建物が倒壊しましたが、ナヴォイ劇場は無傷で、その時の市民の避難場所となったほどでした。タシュケントの人々は、劇場を眺めて、 「日本人は、戦いに敗れても誇りを失うことなく、骨身を惜しまず働いて立派な仕事を残した。素晴らしい民族だ」 と感謝、絶賛しました。

 中山恭子元内閣特命大臣がウズベキスタンに大使として赴任したのは、平成11年のことです。その三年前の平成8年 (1996年) 、ソ連崩壊で、独立したウズベキスタンでは、大統領のカリモフ氏がナヴォイ劇場に、日本人抑留者の功績を記したプレートを掲げてくれています。

『1945年から 46年にかけて極東から強制移住させられた数百人の日本人がこの劇場の建設に参加し、その完成に貢献した』

その時、恩人なのだから捕虜という言葉は絶対入れないようにとの指示があったといわれます。

 今も国民に電気を供給している水力発電所の建設を仕切った元現場監は、懸命に汗を流していた日本兵抑留者たちの思い出話を、中山大使に涙ながらに語ったそうです。

『過酷に働かされた工事でも、決して手抜きをせずまじめに仕上げてしまう日本人。栄養失調でボロボロの体になりながらも、愚痴も文句も言わないどころか、明るい笑顔さえあった。昨日、具合悪そうだったけれど、笑顔を向けてくれた日本人が、今日は来ていない。どうしたのかというと、昨夜栄養失調で死んだという。それほどまでに過酷な情況にあってなお、きちんとした仕事をしてくれた日本人。日本人の捕虜は正々堂々としていた。だから、今でもウズベキスタンの母たちは子供に「人が見ていなくても真面目に働く、あの日本人のようになりなさい」と教えている』

 粗末な十字架がいくつも並んでいる日本人墓地がありました。旧ソ連時代、日本人の墓など作ってはならない、墓はあばいて、遺体は捨てろ、という命令もありました。それでも、ウズベキスタンの人たちは、ひっそりと日本人の墓を守りぬいてくれたのです。それは、日本人が作ってくれた建物や発電所などが、今でも人々の生活をささえてくれていることへの、せめてもの恩返しだったのだといいます。

 シベリア抑留者の悲劇。その悲劇の中でも笑顔を失わず、立派な仕事を残した日本人。祖国に帰れなかった彼らのために、お墓の整備や桜の寄贈を呼び掛け、これに応じてくれた日本人。その心を大切にするために、その墓地の桜を守り続けてくれているウズベキスタンの人。

 私はここ何日もこのことを考えていました。サムライ精神でも一人では耐えきれない。技術集団だったから、より強くなれ、成し遂げられたのではないか。本当に魂の入った仕事をしている人たちは、たとえどこでも手をぬくことができなかったこと、過酷な条件の中でも、仲間との共同作業により完成という大きな目標があり、達成感を共に味わえることがよりどころだったと。また、日本人に感謝しながら、独立前のことだけに、堂々と表せなかった地元の人達の気持ちも充分に感じていたことも大きな励みになったと思います。

 このことを調べていて、当時のことを知っている方の、ソ連に対する厳しい文もありました。このことは隠すことなく正確に伝えなければなりません。けれども、そのこととは別に、これからの人、特に子供達には、どういう方面に進もうとも、もう一つの部分、小さい頃から、相手の立場で考え感謝し、誰かが喜んでくれることであたたかい気持ちになれるという心、基盤を作り育てるためにも、また、日本人として誇りをもって取り組んだことを伝えるためにも、この 「ウズベキスタンと日本人捕虜」 の件は大切だと思い取り上げました。できるだけ多くの子供たちに伝えてほしいと思います。

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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