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<2014年7月>

 

判断基準と自分のものさし

 先日栃木小1女児殺害事件のことがテレビでも報じられると、このことに関連して、14年前の 「豊川市主婦殺人事件」 のことを取り上げているところがありました。当時17歳、その人のコメントに 「人を殺してみたかった・・・」。 そんな言葉が現実にあるのか、昨今ではゲーム等で、殺されてもリセットすればまた戻ってくるという感覚なのでしょうか。

 人はどんな人でも、必ず、自分で判断をして行動しなければいけない時が来ます。それまでに親のするべきことは、色々な意味で自立できること、自分で考え行動できる人になるよう導いていくことだということは、言うまでもありません。私もこの万華鏡で何度も書きました。自分で判断し、決定するとは言っても、自分が思うままに自由に決めていくことではなく、親は小さい時から、命の大切さと、多くの人の中で生きていくためには、様々なルールがあることを教えます。

 私の子供が小さい時のことはもう随分前で記憶がはっきりしていませんが、絵本の中に交通ルールに関するものがありました。 「何も決まりがない国があり、自由に歩いたり、自転車や車が走っていて、色々なところでぶつかったり喧嘩をしたり、車にはねられ怪我をしたり死ぬこともあった。そんな時に誰かが信号を付けて、皆がそれに従うようになって、安心して歩けるようになりました。」 というような内容でした。
我が家の童話や昔話の本の中にこの本があって (私が求めたと思いますが)、当時私は感動しました。交通ルールは納得する・しないではなく、命を守るために無条件に親が子供に教える大切な最初のルールと思っていましたが、この絵本から、人が決めた交通ルールにしても、小さいながらもどうしてこのルールができ、なぜ守らなければいけないのかを理解できることは大切なことだと思いました。

 もう一つの例です。 「小学校低学年の男の子が、友達と喧嘩をして怪我(かすり傷程度)をさせた。母親は驚いて、先方に子供を連れて謝りに行く。大した怪我ではないようだけど、親は何度も頭を下げ、ひたすらに謝るけれど、子どもが謝ろうとしない。無理に頭をさげさせようとする。先方は母子共怒っている。」 これはドラマの1シーンですが、これに近いことはあるようです。

 大きい怪我でないことが前提ですが、母親は叱る前に冷静に、どうして手を出したのか本人のその時の状況、気持ちを聞きます。上からではなく、その子の目の高さに合わせて。必ず理由があるはずです。 「そう・・悔しかったよね・・・・」 間をおいてから、 「怪我をさせたことはよくないよね。お母さんも行ってあげるから、謝りに行こう」 子どもは母親が自分の気持ちを分かってくれただけで、悔しさはほとんどなくなり、自分がどうすべきかわかるようになります。謝罪は、親はもちろんですが、本人がすることが大切です。先方が普通のお子さんならその子の気持ちも分かり、自分も悪かったと気づきます。 (そうでない子もたまにありますが・・)
これらのことは、子どもがこの先自分で判断して生きていく中で、大切な基盤になります。少なくとも、自分が楽しくないのは、親が悪い 周りの人が悪い、国が悪いという大人にはならないはずです。

 去年あたりから、 「イイトコメガネ」 のCMが出ています。 「イイトコメガネはみんなの心の中にあるよ」 このメガネで見ようとすると、友達のひとりひとりそれぞれいいとこが見えるというほのぼのとしたいい感じのものです。このことをある人が 「着眼点はいいが子供にさせているところが違う。これは大人に言うべき。大人の方が 『ワルイトコメガネ』 で見ている。子供には元々偏見がない、大人に偏見があって、それに子供が染まっていく。」 とのこと。分かるような気がします。

 私が子供のころは、厳しかったように思います。両親は 「人は、生まれた時は皆善」 の考えのもとに、 「人に迷惑かけないように」 「自分に恥じることのないように」 「自分で考えて決めなさい」 と、高校生になってからは何も言わなくなりました。けれども不思議なもので、何かに迷った時、それまでの判断基準が頭の中に刷り込まれて、結果、親の思う通りになっていたように思います。

 その後結婚のため全く知らない土地に来て、また、大人の女性を教えるこの仕事をするようになって自分の判断基準がしっかりしていないことが不安でした。着付けの勉強だけではなく、もう一つのこと、目先のことだけではなく、冷静に、広く、大きく先まで考えられるようにと、東京でも様々なセミナーに出席しました。松山に移っても、知人の勧めもありライオンズクラブ、倫理法人会モーニングセミナー等出席しました。今思うと、皆さんがどういう集まりで何をし、何を勉強し、何を考えているか知りたかったのだと思います。

 そして今、今だからできる着付け教室のあり方にたどり着き、力むことなく、私なりに、充実した日々を送れるようになりました。 「人に迷惑をかけないように」 は、迷惑かけたりかけられしていい人間関係が生まれていくと思うようになりました。それはそのうち自分で気づくだろうという親心かもしれないと思います。

 子供の頃に親から教えられた自分で決める時の判断基準、大人になって何年も、求め、探してきた判断基準と自分のものさし。今朝、群馬の家で梅雨の晴れ間、ひとり庭仕事をしながら、これからは 「感ずるままに・・」 で行こうと思い、なぜか嬉しくなりました。
いえ、よく考えると、もうずっと前から、いつの頃からか、これできたかもしれません。

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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