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<2014年12月>

 

家族をつなぐ一筆箋

 先日朝の番組で、更年期障害をテーマに番組が進んでいました。私には更年期障害はなかったように思います (気づかなかっただけかもしれませんが)。 症状は一人ひとり違い、他の人には分かりにくく、それは精神的なことが大きく関係しているからだと思います。その時出てきた言葉の中から、 「美しくなくなる恐怖」 「以前の自分から見ると、今の自分が許せない。ランクが下がる」 「自分だけ怠けている 自分が恥ずかしい」 「自分の存在を否定」 同い年の友人で、元気な人も居て、その人は 「気持ちの持ちようよ!」 「そんなことを考えている暇があったら・・・」 「あなたは甘えているのよ」。 友人を元気づけるために言った言葉が、こちらは、友人だから本当のことを言っていると思い、ますます自分がダメだと思う。何もしたくない 出かけたくない 人の目を気にする。 中には、働いていないのに、働いていると嘘をつく人もあるとか。(これは専門家のお話)。どう対処するか、本人の考え方の話から 「家族の接し方の話」 になりました。

 このことは私が今回書こうと思っていたことと、とても関連があると思いました。次にあげるのは私の考えですが、気持ちを手紙に書いて伝えることの効果です。男性には分からない、ましてや子供には理解できない。夫に話をしても、全部を聞く前に、いつもの感覚で、夫が言った一言で傷つき、話さなくなり、内にこもってしまうこともあります。けれども、書いたものは、書く人は本音でゆっくり書けます。お詫びと、辛いこと、ちょっとしたことで具体的に嬉しかったことなどを。相手は一人で冷静に全部読みます。 「そうなんだ、分からなかったけど…」 お父さんはお子さんの年齢に合わせて、必要であればお母さんをいたわるように話をする機会もできます。また、この手紙は短いものの方がいい、長いと重大な病気のように家族を不安にさせます。私はよく 「一筆箋」 を使います。何かに添えるお礼の言葉だったり、連絡文だったりしますが、こういう大切な使い方もあります。

 お母さんが働いていて子供が帰っても誰もいない家の子を 「鍵っ子」 という言葉がありました。中には、毎日、 「お帰り!おやつは冷蔵庫にあるからね」 などと、特別変わった内容ではないけれど、メモ用紙程度の物に書いて置いておくお母さんもありました。たまには大切な内容もあります。書くことは、大事なことで、それを書いている時は、自分のことを考えてくれているということです。そのことは必ず伝わります。今では、親子でもメールで用を済ませるようになりました。それだけに特に書くことは効果があると思います。

 私自身はそこまで丁寧に子育てしたとは言えません。以前何かの時に書いたり話したりしたことがあるかもしれませんが、大分前のお話です。東京の長女が成人式の時、後日 『写真できました。母親らしいことは何もしてあげられなかったのに、こんなに立派に育ってくれてありがとう。とても綺麗よ。あなたのような娘を持ったことを誇りに思います』 と書いた手紙を添えて写真を送りました。面と向かっては言えない言葉も文字で表現できます。

 何年か経って、松山校開校の時、知人を招待してパーティーを行いました。群馬本校からも 7人手伝いに来てくれて、ミニショーも入ったものでした。夫は来てくれましたが、子供たちはそれぞれのことがあり、出席できませんでした。当日あわただしく、お花や祝電が届いたりする中で、娘たちから何かが届きました。開校のお祝いかと思って開けたら、小さなフォトフレームに入った私たち夫婦の写真でした。

 その時の言葉は、 『 A Happy Anniversary  私たちの大好きな写真です。一つは○○に、一つは松山に。 離れていても、通じ合う家族を 誇りに思います』 とありました。

 忙しさに、二人とも忘れていました。そうだ、結婚記念日でした。同じ時期に、二人とも仕事の面で、新しい道へ進むかどうか迷っていた時、家族で行ったカナダ旅行で、公園の大きなメープル(カエデ)の木を背に、芝生の上に足を伸ばしている写真です。丸い幹を背にしているので、元は一緒でも足先は別方向に向いています。お互いを認め合いそれぞれの道を応援していた私たちを象徴しているようで、笑ってしまいました。娘たちがそのことも含めて選んだのかどうかは分かりません。

 この日娘たちから届いた写真と、後ろに入れてある1枚の紙はずっと私の宝物です。

写真は阿蘇の山と空 23年12月九州旅行で

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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