かざみきもの学院
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<2015年3月>

 

松山校 あれから20年

 松山を離れ、群馬の地で、仕事と子育てにと日々忙しく、松山のことはすっかりと言っていいほど忘れていましたが、いくらか気持ちに余裕ができ、同期会に出席して以来、時々友人との集まりの中に、懐かしさと心地よさを感じるようになりました。「松山にも教室開いたら?」 という友人の声をきっかけに始まった松山校。

 その頃、東京に拠点を持つようにと勧めて下さった方々がありました。私に事業欲、名誉欲があったら、そのチャンスを逃さずそちらに向いたかもしれません。ちょうどその時期だったので、別の所ということを本気で考えたのかもしれないと後で思いました。優秀な経営者だったら、絶対に選ばないであろう遠距離の松山を選び、毎月群馬と松山を往復する生活が始まりました。

 開校にあたっては、高校時代仲良しだった友人はじめ何人かの友人のお世話になりました。中でも松山校を現実に開校できたのは、ひとりの友人のおかげです。きっかけを作ってもらったことも、今の住まいを紹介してもらったことも感謝ですが、現実に、スタートできるようにあらゆる面から助けてもらいました。当時群馬の本校に、指導できる人は何人もいましたが、全部任せられるほどではなかったので、私は毎月、群馬へ移動していました。その間、彼女が松山の留守を守ってもらえたことが最も大きかったことです。着物は着られるし、指導者としても申し分ない人でしたが、指導内容、資格等問題がありますので、開校までにそれを短期でマスターして京都まで行って講師試験を受けてくれました。このことはずっと忘れたことはありません。
その他の友人も、ご自身や、お嬢様や奥様お知り合い等を紹介していただき、彼女との松山での教室が始まったのです。

 入学した生徒さんの中で資格を取得された方も大勢いますが、最も印象的だったのは、早く資格を取りたいけれど仕事で水曜日しか休みがないのでと、毎週午前・夜と一日2回通った人です。「早く資格を取りたいのなら、着物を着られるようになったら、毎回着て来ればそれだけ時間を有効に使えますよ」 と話したところ、初日午前の最初の授業でとても喜んでいただいて、「着物がこんなに簡単に着られるとは思いませんでした。次から着てきます!」 と。 「いえ、まだ帯を教えていないから、その次からね」 と二人で笑ったことを思い出します。 その夜には半幅帯の結び方をしたので、次の週から本当にずっと、着物姿で通いました。後に、仕事を辞め、学院に常勤として長く勤めてくれました。
 
 この20年の間の一番大きなイベントは、5年目に行なわれた全国きもの指導者協会総会開催校として、大和屋での総会・パーティーに続いて、翌日に開催した県民文化会館での2時間のショーでした。年数も浅く、松山のメンバーだけでは、2時間のショーはとても無理でしたので、群馬本校からも多くの人に協力してもらいました。1か月前の、京都からプロの舞台監督・振付の先生方を招いてのステージリハーサルには群馬の人達は全員来られないので、群馬の方でステージを借りてステージリハーサルをしました。これをビデオに撮って、松山のリハーサルでは、プログラムのここにこれが入りますとお伝えしておき、その人達は本番の時、皆より1日早く来て、リハーサルをしました。もちろん松山の大勢の方にもご協力いただきました。この時、着付け室、舞台裏等走り回って裏方の責任者として大活躍をしたのもこの人です。

 この日の 1年余り前に夫が他界、3年前から開催地が決まっていたので変更することもできず、それに向かいました。今思うと怠け者の私にどこからあの力が出たかと思うほど、これまでの中で最も大きく満足できたイベントでした。
私が松山校を開校したのと同じ頃、夫も新しい生活が始まりました。あるところ (海外) から求められ、私と同じペースで毎月その地と日本を移動していました。不思議なもので、ずっと一緒に居た時よりも、会った時の会話が多くなりました。 「お互い求められる間はそれぞれの仕事をして、それが終わったら、一緒に花を育てる生活を」 と話していました。

 私は、運命論者ではないですが、人の一生は誰も知らないけれど決まっているのではないかと思うところがあります。夫は私よりも隣組や子供会や、色々なことのお世話を積極的にした人なので、仕事で求められてその地に行ったように、今度はあちらの世界に求められて逝った。そこで何かのお世話をしている。私はこちらの世界でしなければいけないことがあるから生かされている。そんな風に思えるのが不思議です。
 
  色々あった20年です。その間ずっと自分の信じる道を歩いてくることができました。本来なら20周年と大々的にするべきかもしれませんが、毎年行うきものパーティーの席で、実は20年になりますとお知らせすることにしました。(役員と師範・講師研究会のメンバーには話しています。) 

 おかげさまで、技術だけではなく私の想いを受けとめて活躍してくれる人も多くなりました。人は皆、褒められることはもちろん嬉しいです。さらに、心にもないお世辞ではなく、自分の中で小さな 「達成感」 を意識している時に褒められたり感謝されたりすると、その喜びと、さらに上へとの思いは何倍にもなります。講師・師範の指導法においてもよく話します。これは大人も子供も同じです。

 着付士資格を取得して出張着付けの仕事をする時も皆納得のいく仕事をしたい願望が一番強く、時間を作ってでも前日の着物小物の点検等自発的にしているようです。松山での美容室や、イベント、個人宅等、出張着付けがとても多くなりました。成人式はお断りするところもあるくらいです。私は派遣業をしているわけではありませんので、ずっと私を信じ頑張ってくれている人達への感謝と激励の気持ちでお世話をしています。

 開校のきっかけはじめ、あらゆることにお世話になった友人は、初めの、軌道に乗った頃、 「もうそろそろいいよね」 と言って次の人に託してくれました。若い頃の友達関係とは違い、歳を重ねて大人になると、その人の立場になって、その人の考え、事情、夢その他諸々、すべてを含み考えられるようになります。昔から得意だった部門で腕を上げ、さらに磨きをかけています。毎年お正月には、作品を印刷した年賀状が届きます。私はその絵をフォトフレームに入れて良く見えるところに飾っています。

 松山の皆様、ありがとうございました。私にこんなに充実した日々と、多くの 「人」 という財産をいただいたこと、本当に感謝しています。あの時東京ではなく、松山を選んだことは間違いありませんでした。
群馬本校の皆様、留守が多くてすみません。今は娘が責任を持って見てくれているのでそちらに居る時間が短くなりました。

 「伝統の着物」 「ファッションとしての着物」 から始まり、 「女性を内から外から磨き高めてくれる着物」 「祖母から母から娘へと受け継がれる、肌で感じるぬくもりの着物」 「日本の四季、季節の移り変わりの美しさと、日本人であることを再認識させてくれる着物」。
本当に着物を好きな人が、どんな方法でもいいから、一人でも多くの人に着物の素晴らしさを伝えていってほしい。今でも私を掻き立てる使命感のようなものがあります。みんなの力を借りながらこれからも自然体で歩いていきたいと思います。

「力まず 媚びず 人を愛して生きていきたい」

 まだ今はこの心境です。何年かすると別の言葉になるかもしれませんが・・・。


松山にて 2回目に開催された総会 (2009年4月)


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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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