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<2015年12月>

 

姉から思う女性の生き方

 早いもので今年も残すところわずかになってしまいました。年頭に 「今年は・・・」 と何か考えていた方もおられると思います。師走の忙しい中で一年を振り返る時期でもあります。

 先日島の姉から誘いがあって久しぶりに行ってきました。以前は時々一緒に旅行をしたり私の所にも遊びに来たりしていましたが、最近は、病気をしたこともあって用事で松山に来てもそのまま帰ることが多く、「家が一番いい・・」 と言うようになり、歳のせいかとも考え、無理に誘うこともなく様子を見ていました。

 松山を離れて長い年月が過ぎ、子育てしながら仕事をする自分の日々の生活でいっぱいだったので、姉のことも知らなかったことが多く、こちらに帰ってきて驚くこと (強く感じること) が沢山ありました。万華鏡にも何回か書いたと思います。この姉のことはよく分かっているつもりでしたが、歳が離れているので、その後ろに母を見ていたかもしれません。しばらくぶりに、姉からの誘いでお邪魔しましたが、以前と全く変わらず元気で優しい笑顔で迎えてくれました。やはり、母とダブりました。

 今回、私の中で見方が少し変わりました。母とダブる姉ではなく、1人の女性の生き方として考えるようになりました。私も離れていたので正確ではないかもしれませんが、義母が倒れたのを機に、教員を辞めて看護、その後、長い間義母の介護と看取り、続いて義父の介護と看取り。その上教員を辞めてからみかん畑を引き継ぎました。そんな中で、自分が育てたみかんだからと私のところまで送ってくれました。義兄はとても優しい人でしたから、その間、義兄の理解と、感謝の気持ちと、優しさがあったからできたことと思いますが、その後義兄も他界、2人の子供は家庭を持ち東京と松山に。松山の長男の所には、母親(姉) の部屋も作ってあるのに、「みんなそれぞれの生活があるのだから、私のことは大丈夫」 と、前に聞いた私たちの母と同じ言葉で、一人生活をしています。
子供達もそういう姿を見て育ったので、母親の背中から多くのことを学び、感じ取っている様子は分かります。

 色々な話の中から、1冊のノートを見せてくれました。見開きで、1週間 1ページ 7日に表を作り、右のページは血圧等の記録と同時に、3食、食べたものを記録していました。パソコンは使わないので、手書きです。左のページには、 1 週間の特記事項の記録と領収書の貼付。記録を始めてもう 3年以上になるそうです。(私には絶対続かない・・)。それとは別に、10年日記 (では重いので 3年日記だったかも)、これもずっと長く続けているようです。

 もう一つ、「新聞の社説を毎日読む」 のは分かりますが、「毎日書き写す」 《ビックリ ポン!》
最近の私は、手書きはメモ程度で、パソコンを使うので、手書きで書くと自分が分かればいい略字で、漢字を大体は書けるけれど、正確に書けないことがあったりします。確かに姉は昔から書くことが好きでした。あの大変な時期にも、夜一人で自分の部屋で 「書」 をしていたことを知っています。今は墨ではないけれど、よく書くようです。2人の子供とお嫁さん、孫3人に、毎年誕生日には手紙を書いているそうです。

 家でずっと楽しんでいることは、DVD を沢山集め、見ているとのこと。「四季の万葉集」 「世界の秘境」 「世界の美術館」 等々・・・。美しい風景と、日本・世界の歴史に興味があるようです。そして夜は、必ず音楽を聞きながら眠るとのこと。1人生活者の緊急連絡の手配もしています。

 ご近所の方も姉のこれまでのことをよくご存知で、バラの季節には家の前のバラ園を見に来られたり、お花見の季節には、みかんを作らなくなって跡地に植えた40本もの桜を見に来られる人もあるそうです。また、義兄の入院の時は (病状は分かっていたので) ずっと付きっきりで、「花は枯れてもしょうがない」 と家には帰らなかったのですが、その間、事情を知っている方が、ご厚意で草取りをして下さったそうです。

 家の別棟に民宿ができるくらい何人も泊まれる場所があり、夏、島に遊びに行きたいという姪の友達や、癒しを求めての知人、色々な方が泊まっていかれたそうです。

 私も思い出します。松山校を開校して何年も経たない頃、全国きもの指導者協総会の開催校として、県民文化会館で 2時間のショーを行いました。夫他界を悲しむ間もなく取り組んでいた私のために、姉は何人もの人を誘って協力してくれました。ショーが終わってから 「落ち着いたら遊びにおいで」 と声がかかり、私は素の自分を取り戻すため、海を見に島に行きました。 「仕事が大丈夫なら何日居てもいいよ」 と。この時のことは忘れられません。

 今回姉を一人の女性の生き方として改めて感じるところがありました。仕事を辞めるという大きな決断をした勇気と、諸々のことを乗り越えてきた自信、表面には出さない強さと、周りの人の立場になって考えられる細やかな心遣い。(身内の自慢をするようですがお許しを・・)。
この人は、優しい姉、自慢の姉というより、客観的に見て、私も目指すべき女性像であると今頃になって気づきました。自分を振り返ってみて、道の片側だけを懸命に走って来たけれど、大切なことをどこに置いてきたのかと、しばらく落ち込みました。
今からでは無理と思いますが、今気づいたことだけでもいいと思うことにします。
きっと姉は、「それぞれの道」 と言うことでしょう。

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渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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