女に生まれて
1月の万華鏡「かざみ」のところで風についてふれました。風のにおい 風の色・・・。下の娘が2歳の頃だったと思います。子育てと仕事に追われていた9月の初め、まだ暑さの残るある日、ノースリーブの肌を夏とは違う秋の初めの風がすーとなでていきました。その時なぜか胸がキュンとなりました。懐かしいような不思議な感覚でした。そういえば昔から夏の終わり、海水浴の人もいなくなった海が好きでした。夏から秋に変わる頃の季節がとても好きでした。そんなことも忘れていたことに気づきました。
今は女性が家庭と仕事を持つことは普通になりましたが、両方を完璧にこなそうと、何かの度に迷い揺れる女性の気持ちは変わりません。これは女性の永遠のテーマかもしれません。けれども考えてみると、女性はその両方ができるということです。(時代が変わり、父親と母親が仕事と家庭 逆の場合もありますが)
仕事と家庭 もう一つ大切なことがあることをこの時期に気づいたのです。それは、妻でもなく母でもなく先生でもなく、一人の人として、女性として、美しいものを美しいと感じ、物事に感動する感性です。それからこの3つとも大切にしたいと思うと同時に、「女であることは なかなか面白いゾ!」と思うようになりました。
それから広い意味で「女性の生き方」に興味を持ち、きものを通してそのことを考えてみたいと思うようになりました。学ぶ側と教える側 きものが着られるだけでなく、お互いを高めていく「きもの共育」(教育ではなく共育)の素晴らしさと きものの大きな力を知りました。その頃、硬い文章では「きものは女性の生涯共育の最高の媒体」と表現し、また別の機会には、こんなことを書きました。
きものを着ると
何かが変わった
知らなかった自分が見えてきた
華やかに しなやかに
さりげなく あたたかく
あでやかに 凛として
その時々の
女性の心を演出してくれるきもの
女性はみんな欲張りだから
いろんな女性を演じてみたい
あれも私 これも私
きものは不思議・・・
女に生まれて幸せだと思うから、きものに触れて優しくなれたと思うから、どんな事情があっても、気持ちのある人は受け入れたいと思うから、個人指導を通すことにしたのです。一人でも多くの女性に、女に生まれて幸せと、きものに触れて優しくなれたと思ってほしいから、歩けるところまでこの道を歩きます。これから自分もどう変わり、何を思うようになるかも楽しみのひとつです。
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