かざみきもの学院
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<2016年3月>

 

この道

 松山校を開校して20年が過ぎました。万華鏡でも昨年3月、20周年を迎えるにあたって、「松山校あれから20年」 という文を書きました。その後ゆっくり思い返してみて、どれだけ多くの方にお世話になって来たか、しみじみ思い、改めて感謝の気持ちが大きくなってきました。今回、これまでお世話になった方、見守ってくださった方、学院のスタッフ、生徒さん、皆さんに感謝の気持ちをお伝えする 「20周年感謝の集い」 を行います。

 普通、来賓の方をお迎えして 「○○周年祝賀会」 として華やかに開催するのが一般的ですが、「形よりも心の通う、なごやかで、みんなが楽しんでいただけるような会を」 という私の希望を、スタッフも賛同してくれ、3月6日行うことになりました。ゲストの方も、皆さんそれぞれ立派な肩書をお持ちの方ですが、肩書抜きで進めても今回の私の思いをご理解いただける方ばかりと思っています。

 長い間離れていた私が松山校を開校することになり、高校時代の同期の方をはじめ、多くの方に温かく迎えていただいたことは、感謝はもちろんですが、同時に驚きでもありました。その後も節々にお力添えをいただき、見守って下さいました。また、私の 「着物への思い」、「着物を通してお互いに学び伝えていきたいという思い」 をしっかり受けとめ支えてくれた師範・講師をはじめ、生徒さん、卒業生の方・・・多くの方のおかげで今があることを思い、感謝の気持ちでいっぱいです。

 着物を着た大人の女性へのあこがれがきっかけになって40年以上。
ただ教わった技術と知識を右から左へそのまま伝え、理想を掲げて指導者のつもりでいた若い頃のことも思い出します。どこかにそれではいけないという思いがあったから、着物だけではなく色々な方面のことを学び、異業種の方の勉強会にも参加した時期がありました。

 「着物を学ぶことで、人と人とが出会い、立場の上下は関係なく、お互いを高め合う」
このことは知識としてではなく、この何十年かの間に自分で気づき肌で感じたことでした。ここにきて考えることは 『着物が私を育ててくれた』 ということです。着物のおかげで多くの人と出会うことができ、その人達と接することで自分も当初よりは成長したと思います。

 これまでお会いした生徒さんの中で、こういう方がおられます。松山の方ですが、出向で、ある期間東京生活になりました。講師を目指す講師科の勉強が途中になってしまいましたが、その後、東京から群馬本校へ通い、その年京都での講師試験を受け、資格を得ました。その後も本校での集いやその他のイベントにも積極的に参加。松山に戻ってからも熱心に受講し、着付士プロの資格も得ました。技術も確かですが、公務員という立場を自覚しており、仕事としては絶対にしませんが、何かの時には、お友達や、職場のイベントなどでは活躍しています。
最も感動したことは、ちょうど1年前の 「集い」 のときのことです。プロの技術の披露ということで、この方は、2人で1人の人の前と後ろに立ち、何回も別の着物を着替えさせるという 「早着せ」 をすることになっていました。とても熱心に練習をしていましたが、ある時、「チケットできていますか? もうすぐ両親の結婚記念日なので、できたらその日に招待状をプレゼントしたいので・・・」と。 私が目指していたのはこれ! この日がとても嬉しかったのを思い出します。この他にも生徒さんから学んだことが沢山あります。

 このあたりで休憩をして、10年前の私は何を考えていたのだろうかと、万華鏡バックナンバーから出してみました。2006年3月は 「青い春と白い秋」 でした。東京での同期会もあまり出席したことありませんでしたが、懐かしい人たちと出会い、そのことを書いたものでした。これを誰かが見つけて何人かに広がり、その後も毎月見て下さっている方もおられます。

 私は、親も兄姉も教員という中で生まれ育ちました(母はやめていましたが)。私自身も松山で高校の教員をしていたこともあります。だからかもしれませんが、事業欲も名誉欲もなく、かざみきもの学院も特別大きくはなりませんでしたし、渡部捷子も有名になったわけでもありませんが、今日まで歩いてきた道は多くの感動を与えてもらい、私にとっては、とても充実した 『大満足』 の道でした。
いつの頃からか、頭のどこかに置いている言葉は 「自分がそうだからと言って誰にでもそれを求めてはいけない。みんなそれぞれ大事にしていることがある」 ということです。

 比較的元気で、病気らしい病気もしたことがなく、更年期の症状も、五十肩で苦しむこともなく、ずっと元気に過ごしておりました。そんな私でしたが、長く生きている間には、夫が他界、私自身も体調を崩したこともありました。そんなことからか、今では他人(ひと)の痛みも分かるようになりました。何かあっても、相手の立場になって考えることもできるようになりました。まだ私も精神的には少しずつ成長していると実感しています。

 学院でも多くの人が力をつけてきています。その人達に任せる部分は任せて、これから私は、以前はあまり真剣に考えていなかったけれど、今だから考えられること、今だからできることを、マイペースで向かっていこうと思います。(これは私の意識の問題で、現体制が変わることではありません。)

バックナンバーはこちら (毎月5日更新)

渡部捷子

渡部捷子へのメールは watanabe@kazami.com まで

 
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